2013年5月27日月曜日

「備え」

 80を過ぎたあたりから、ふるさとに独り住まいの母と別れるときは「これが見納めかな」といつも思っていた。それで、会うたびに写真を撮った。幸い母は長寿の血筋で長生きした。ところが、いざ亡くなって葬式の写真をどうしようかと探す段になってなかなかいいのがみつからない。また、そういうときだから慌てている。結局、たまたま部屋に飾ってあったスナップ写真に着目した。母のいきいきとした表情があった。晩年の母らしさが出ていた。兄弟に相談してこれを遺影に使わせてもらった。あとで施設の介護士さんに撮ってもらった何気ない一枚だったとわかって、礼を申し上げた。よかったと思っている。
 もちろん母親のいろいろなときのさまざまな表情は私の頭の中にいくつもあって、生きている。
 人間、いつ死ぬかわからない。年齢的には現実性を帯びてきた、もう何十年も生きるわけではない。かといって覚悟はないのだけれども、「縁起でもない」では備えにならない。先日、旅先で知らないうちに撮ってもらった写真をいただいた。自分が他人様からどうとらえられているのかわからないけれど、ちょっと気にいったので、連絡をして画像データをわざわざ送ってもらった。撮られ撮ったどうしの人柄がでるものだ。そんな考えがあって、もしものことがあったときに使ってもらうために、パソコンのライブリーピクチャに「遺影」というフォルダーをつくって格納した。
 もちろん健やかに生きることができて、更新できることを願ってはいるのだけど。

 笑っている写真がいいな。

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