2012年10月22日月曜日

福島の被災地支援のボランティア参加(その1)


 1.安達太良SAにて
 福島の被災地支援のボランティアに参加してきました。参加を決めて申し込んだのはわずか3日前。主催者の辻さんに沖縄連帯の集会で出くわしたからです。間に合うそうで、思い切って決めました。そのことを告げたら、つれあいも喜んでいました。
月曜日の早朝の通勤電車に乗る、34年間のサラリーマン生活のせいでしょうか、気が引き締まるのを感じました。7時に所沢を出て関越・北関東・東北自動車道を通って西福島ICを降り、福島市の渡利地域、川俣町、飯館村を経て目的地の南相馬市に到着したのは午後3時ごろでした。参加者は各地から乗用車4台に分乗、軽トラ1台(支援物資の米とじゃがいもを積載)を連ね総勢20名でした。
東北道では1時間ほどの工事渋滞に巻き込まれました(往復ともそうでした)。東北道の安達太良SAに昼食休憩も兼ねて集結したのですが、偶々食堂は機動隊の若い隊員のみなさんでごった返しておりました。そうしましたら、いつのまにか機関銃を装備ができる自衛隊の武装装甲車両も駐車しておりまして、ぎょっとしました。機動隊の若い隊員のみなさんと違って、こちらはいかにも屈強そうな隊員の人たちでした。あの車両はなんだったんでしょう。

2.経路の飯舘村の荒れ野
南相馬市は福島市から行けば阿武隈山地を越した海沿いにあります。その阿武隈山中にあるのが飯舘村です。川俣町から登りの山道になり飯舘村に入ります。村の真ん中あたりを東から西に横断して行きますと、今度は急な山道を降りて行きますので飯舘村が山里であることを実感します。飯舘村は福島第一原子力発電所の事故当時、風向きのために大量の放射性物資が降り注ぎました。「計画的避難区域」として全村避難。今年の七月まで立ち入ることが厳しく制限されておりました。現在は通過することができる無人の村です。事故前は水田か畑だったと思われる沿道の土地は、ススキかセイタカアワタチソウに覆われ荒野原と化しておりました。画像は帰路の臼石小学校のあたりで撮ったものです。

3.訪問地南相馬市および福島県北部沿岸部のこと
 南相馬市は福島県の沿岸北部に位置します。北から鹿島区、原町(はらのまち)区、小高(おだか)区から成り、旧3町の「平成の大合併」で誕生(2006年)しました。「相馬野馬追」で有名です。南相馬市の北は相馬市、新地町でさらにその北は宮城県(山元町)になります。南は浪江町、双葉町、大熊町、富岡町、楢葉町と海沿いに自治体が続きます。双葉町と大熊町の境目に福島第一原子力発電所があり、さらに富岡町と楢葉町の境目に福島第二原子力発電所があります。
 3・11当時震度6弱を観測。同日15時35分ごろ津波襲来。これに加えて福島第一原子力発電所事故による放射能被害を受けます(20kmおよび30km圏内)。地震、津波、原発事故の三重の被害を受けます。12年9月現在、死者972人(うち震災関連死336人)。市は警戒区域(20km圏内=ほぼ小高区)、計画的避難区域、緊急時避難準備区域(20km~30km圏内=ほぼ原町区)に指定され、多くの市民が着の身着のままで避難。現在は原町区以北が居住可能とされています。3・11以前の人口が約7.1万人でしたのが12年10月時点で約4.5万人となっておりました。

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