2012年11月10日土曜日

中村梧郎さんのギャラリートーク聴講


 お昼「とうさん、とうさん今日はこれがあるんだった!」とうちのかあさんが慌てて話しかけてきた。今からなら十分間に合う、それで急きょ川越に出向いた。駅に向かう茶畑から富士山がいつもより雄大に見えるほど今日はいい天気だった。

 フォトジャーナリスト中村梧郎さんのギャラリートークを聴講してきた。ベトナム戦争で10年間使われた枯葉剤の深刻な傷跡、決して終わってはいないダイオキシン汚染、とくに日本の環境汚染のひどさ、幾世代にも続く影響がでる、これは放射能汚染・内部被曝にも共通する。フォトジャーナリストとしてベトナム・韓国・米国、そして沖縄、福島を今も取材。若々しい声で2時間を超す熱弁。

 「3・11以降、もうだまされないぞ!と気付いたひとびとの行動。この力を信じて動こう。1年8ヶ月目になる明日の11・11は百万人集会が催される。集結点の日比谷公園の使用を警視庁と東京都(猪瀬副知事)が妨害し、運動がせめぎあいに入った。
もうだまされないぞ!と気付いたひとびとの、この力を信じて動こう。
巨大な組織でもないなんでもない人びとが動いた、なにしろ経験がないからおかあさんたちは機動隊にも怯えない。
知事選もある。
全力をあげて大騒ぎして大きな声をあげる。みんなでやろう、こつこつと。」
フォトジャーナリスト中村梧郎さんは、「私たちはどうすればいいのだ」という会場からの質問にそう答えていました。

 中村梧郎写真展「枯葉剤とベトナム」も鑑賞した(川越市立美術館市民ギャラリー)

Web[IMAonline]より;「ベトナム戦争中に米軍が行った枯葉作戦は、その後のベトナムにおびただしい数の先天障害児やガン患者を生んだだけでなく、散布した側のアメリカ兵や韓国兵にも汚染による被害者を生み出しました。その全体像を記録してきたのは世界でも中村梧郎ただひとりとされています。2007年にはMAGNUM創立60周年記念展の招待作品としてニューヨーク市立大学プレジデントギャラリーでの半年間の個展を開催し、米国での反響を呼びました。さらに2009年にはカリフォルニア写真美術館での個展となり、米国内を巡回しています。日本では1983年にNIKON第8回伊奈信男賞を受賞、1996年には日本ジャーナリスト会議特別賞などを受賞しています。中村の全作品は長野県茅野市美術館に収蔵されていますが、今回は川越市制90周年を記念するイヴェントの一つとしてその一部を借り出して川越市美術館で展示するものです。」

◆「毎日新聞 20121006日 地方版」より
写真展:枯れ葉剤とベトナム、被害の実態追う フォトジャーナリスト・中村梧郎さん、川越で来月6日から /埼玉
 ベトナム戦争(1960〜75年)中に米軍が散布した枯れ葉剤の被害の実態を追い続けているフォトジャーナリストの中村梧郎10+件さん(71)=さいたま市在住=の写真展「枯葉剤とベトナム」が11月6〜18日、川越市郭町の同市立美術館市民ギャラリーで開かれる。中村さんは「戦争は37年前に終わったが、ダイオキシンによる被害は、子どもたちや孫の世代も続いている。放射線障害と同様に、後々まで続く問題であることを多くの人に知ってほしい」と話している。

 枯れ葉剤は、密林を枯死させ、解放勢力の拠点や兵士をあぶり出すために大量に使用された。枯れ葉剤には猛毒のダイオキシンが含まれており、これを浴びたベトナム人や帰還した米兵・韓国兵、さらにその子孫にもがん患者や障害児が生まれた。

 中村さんは70年から、報道カメラマンとしてベトナム戦争の取材を始めた。そして、終戦直後の76年、ベトナム最南端のカマウ岬で、枯れ葉剤で朽ち果てたマングローブの森を撮影した=写真・中村さん提供=のをはじめ、ベトナムや米国、韓国で住民や帰還兵の被害の実態を記録してきた。

 写真展は、戦争に関心をもち、ベトナムとの交流を続けている市民ら約30人でつくる実行委員会が主催した。会場には、中村さんが74年から2010年までに撮影した写真から選び出した約70点を展示する。これほど多数の作品を集めた写真展は県内で初めてという。同実行委の東海林照一会長は「平和の尊さや戦争の悲惨さを多くの方にアピールしたい」と話す。また、川越市も市制施行90周年記念事業の一環として、美術館使用料を免除するなどし、イベントを支援する。

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