2012年10月17日水曜日

埼玉県狭山市入曽地区の史跡・文化財散策


 私の住むところは武蔵野台地の北端に位置します。江戸時代は川越藩入間郡水野村といいました。「水野村」とは皮肉な名称で、水にはかなり不自由した土地柄。古代文学に出てくる「ほりかねの井」はこの一帯のことを指すと言われています。実際「堀兼」という地名もあります。そのようなことで、なかなか農民が住めなかったところ。川越藩によって新田が開墾されたのは1666年以降。水にまつわる苦労は並大抵のことではなかったようです。

史跡「七曲井(ななまがりのい)」埼玉県指定文化財
 人は住みにくかったものの、ここは古代、武蔵国府と上野国府を結ぶ国道(官道)が通っていた交通の要所のひとつでした。「いりまじ(万葉仮名で伊利麻路と書く)」といいます。それが中世には鎌倉街道上道(かみつみち)という「いざ、鎌倉」の国道幹線道路として引き継がれます。現在の所沢=狭山線の道路です。ここには往きかう役人や旅人(商人)のために、官製の「水飲み場」が設置されます。いわば昔の「道の駅」のようなもの。それがこの地区に残っている史跡「七曲井(ななまがりのい)」というところです。近世以降の深堀井戸とは違い、形は大きなすりばち状になっていて、上淵部の最大径が26m、深さが12m近くあったものです(1970年に発掘調査)。最初は稲妻状に降りて行き、最後はらせん状に降りて行ってやっと水にありつけるという古代の井戸です。そして、18世紀まで使われたと考えられます。

 そんなこんなの地元の史跡・文化財を狭山市立博物館前館長の高橋光昭さんのご案内で散策して歩きました。今日は夕方から雨になりましたが、晴れた午前中の三時間半、距離にして4.5kmほどでした。奥の深いものです。

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