2012年9月5日水曜日

自分のこと

 私は友達がそう多くない。つい人間関係に身構えてしまう性癖があるからかもしれない。

 Mさんは不審な死に方をした。大きなターミナル駅のホームから転落して轢死。事故死と決着したが、自殺だったのではとささやかれた。随分以前のことだ。

 私みたいなヤツを「いいにんげんにきまってる」といつも贔屓してくれた。私がどんな人間かそう深くも付き合っていないハナから。私も悪い気はしない。Mさんは人をみな性善説でみているかというと案外そうでもなかった。心根の優しさを持ち理想家で、また一方、強い自尊心の持ち主でもあった。すごく慕う人がある反面、“きれいごと”を言うMさんに敵も多かった。女性にももてたと思うが独身だった。わかるような気がする。

 出世もしていたがいつも悩んでいるようで酒に溺れた。定刻に出てこないなど不始末を重ねる。私が出遭ったのはそのころだ。それで、いつしか閑職に追いやられた。地位を「慕っていた」人たちは離れていった。いつかフロアが一緒になり資料庫で鉢合わせすることがあった、「寂しいでしょ」と親しみをこめてジャブを放ったら、いつもの赤ら顔に満面の笑みで「全然っ」と応酬した。「お前はいいやつだ」と言って。

 あのとき慕う人たちで偲ぶ会をやったらしいが、私は出なかった。くやしかったから。あんなやけな死に方。

 深酒をして終電車をはずしては、Mさんの家に泊めてもらった。お母さんと二人暮らしだった。また、ほかの彼の付き合いの人の家に一緒にころがりこんだりもした。世はバブルに沸いていた。子だくさんの我が家にもなんどか泊まってもらった。しばらくの間お正月に来てもらうことも続いた。

 あらためて振り返ってみれば、わたしみたいなヤツをほとんど無条件にいいやつだと信じてくれるひとが片手ぐらいはいるように思える。思い過ごしかもしれないけれど。自身を見つめるとき不思議でならない。自分だったら、こんな役立たずで付き合いたくないヤツはいないと思うから。

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