2012年8月15日水曜日

私の憂うつ

福島市松川の仮設住宅「飯舘村直売所松川店なごみ」

 息を呑み立ち尽くす空間、跡地とも廃墟とも言いようがないのが3・11の被災地です。ときを追って、敢えて申せば「モノ言わぬ空間」私にはそう思えてきます。あたっていない表現かも知れません。あの地震と津波。そして直後からの放射能禍。

 当時の海水(うみみず)とヘドロ、破壊されたモノモノ、屍、…。臭い…。陸(おか)に揚がった船、ひっくり返った車、ひっくり返っていたのは車だけではなくコンクリートのビル…。

 加えて、今日流布する「放射能怖さの東北バッシング(or「関東以北バッシング」)」。これらの心なさに背筋が凍ります。なにが心ないかって?原発事故以降の事態についての恐怖、それにたいする判断や行動はいろいろあるとしても、数々の東北バッシングにはにんげんというものへのリスペクトや被災者や遺族への思いやり、そして生産者の置かれた状況と奮闘への想像(イマージン)がないからです。立ち向かうべき相手が違うことは勿論のこと、私には軽佻浮薄、ときには卑怯さ・えげつなさ、己が可愛さのみが見て取れて暗い気持ちにさせられます。

 己が放射能禍の被害者であることを嘆きながら、その矛先をより深刻な被害者に向け罪なき人々を絶望と卑屈のどん底へ突き落している行為に思えます。被災地の「モノ言わぬ空間」に乗じて「モノ言えぬ空間」にしていこうとさえ思えます。3・11の直後から起きてはいましたが、今日Web上で扇動する者がいて増幅されているように思えます。

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