2012年8月31日金曜日

八月二度目の満月様


 往路は曇っていてあれっよく見えないなと思っておりましたが、帰途は晴れておりました。踏切を越すときちょっと盛り上がったところにありますので、夜空が開けて見えます。左に折れて斜めにまっすぐ行く道があって、75度ぐらいに見上げますと、ちょうど頭上高くに月があります。もう虫の音が聞こえますね。

 夕方、FBのコメントでチエさんが今宵は満月であることを教えてくれていました。昨夜もずいぶん明るいなとは思っておったのですが、そこまで思い至りませんでした。

 エネルギーをチャージすべしと。そして、八月二度目の満月様…であると。

 ちょうどリンパ整体の女先生も月のうちに二度もある満月のパワーはすごい、ガンガン感じるとか言っておったのを思い出しました。そんなこと暦の巡り合わせじゃないかと思ったりもしたのですが、よっしゃ!ということで自転車をこぎながらお月様を眺めておりました。

 明日から九月、明日の朝は家じゅうの暦をめくります。

2012年8月30日木曜日

余韻


 「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」というフレーズが浮かんでくるほどの、温泉三昧。寝ても覚めてもあれこれの温泉と岩盤浴。熱くないお湯で幾らでも入っておれました。「もう、オンセンだけはカンベンしてください」状態でした。

 宿は季節の山菜と川魚の薬膳料理、郷土料理。一晩でうん○の質が変わりました。

 お土産に買った黒湯温泉の温泉黒たまご、おいしかったなぁ。
 
 ん~と贅沢なことで、すみまっせん。

2012年8月29日水曜日

旅の途中


 最後はリピーター客としてここの宿に逗留しました。施設、什器、器、料理、お香、温泉、どれもこれも非の打ちどころがありません。こころ配りが行き届いていて、それで、昨日のような山宿の“ワイルド”さがむしろ懐かしくも思えます。女性客の多いと言われる所以です。両方とも同じ宿代でした。

 食事時が楽しみです。私も器好きなので、料理に出てくる食器類の取り合わせがこころにくい。もちろん、きりたんぽ鍋のような郷土料理や山菜や川魚料理を満喫しました(これは、この旅の宿両方で満足しました)。それで、大吟醸のお酒もついついボトルでいただいてしまいましたね。

 だいぶ趣向が違うのですが、私が感激したひとつが紳士トイレに使ってあるスリッパでした。昨年、その履き心地のよさに感動したものです。同じものをずっと探していましたがみつかりませんでした。それで、不躾ながらも、もしよかったらということで、どこでこのスリッパは買い求められるか伺いました(後日連絡をいただけるとのことでしたが…)。

 内風呂でちょっと声を掛けあった老紳士と温泉話をしておりましたら話がはずみ、のぼせるほど入っておりました。食事会場が一緒でしたので、Say,Hallowのつもりで地ビールを差し入れましたところ、またまた意気投合してしまいました。その折一緒に撮ったたった一枚の写真をぜひ送ってほしいと、翌朝言われて静岡のお土産と名刺までいただきました。あちらもご夫婦で、旅の途中とのことでした。

 トンボ、リンドウ、いわし雲、すすき、景色が秋に近いことはわかりましたが、山の中にいても猛暑ではありました。

「♪森のくまさん」を歌いながらセラピートレッキングをし、湧水に喉をうるおし、おばあちゃんがつくったというゴマ餅を食べたり、帰りには持ちきれないほどの野菜や豆を買ってきたりしましたね。

 旅のよい思い出ができました。
 無事帰宅しましたが、まだ旅の途中…。
 旅の相手がいるからいいのでしょう。

2012年8月28日火曜日

迂闊な質問(玉川温泉の岩盤浴)


 二泊した山の温泉宿を出て、最後の宿泊地乳頭温泉に向かいました。途中の玉川温泉に初めて立ち寄りました。ここは、この冬雪崩が起きて犠牲者が出たという記憶の生々しいところです。その岩盤浴の地を訪ねて、温泉旅館のところに行ったのですが見当たりません。宿の人に訊きましたら、温泉施設内ではなくそれは自然公園の敷地内にあるそうです。引き返して、源泉の流れる川沿いを行きましたところにそこはありました。お昼の真夏の炎天下であったことと、源泉温度98℃のすぐ近くということや、熱い地熱とも合わさって卒倒しそうな暑さの中でした。

 岩盤浴利用のための屋根付き施設が3つほどありました。そのなかのひとつに入らせてもらいました。ゴザをもっていなかったので思案しておりましたら、先客の方が、あそこに誰かが置いていったのがある、取りにこないから捨てていったのだろう、使ったらいいと教えてくれました。せっかくきたので、その中からふたつ利用させてもらいました。

 それにしても、ここの地熱は熱く、勢いも強いものです。みなさんはゴザと綿毛布みたいなものを重ねて使っています。昨夜までの宿のオンドルとは温度が違います。へたをすれば、火傷をするよと言われました。現に仰向けになっていますと、頭を置いているあたりから熱い蒸気が噴出しています。

 先程の親切な先客の男性は前立腺を患い、私らのすぐあとに来た男性は糖尿病をもっているとのことでした。先客は一関から来て車に寝泊まりして4日目、あとに来た男性は私たちと同じ立ち寄り客で、神奈川県から来て方々の温泉を一人旅しているようでした。

 あまり長居はできず、お暇しようとしたときに、私も深く考えもせずについ訊いてしまいました「ここは何に効くのでしたか」と。即座に「癌だよ」という応えが返ってきました。そうでした…。

 帰りの売店で買った冷やしきゅうりがおいしかった。田沢湖近くまでず~っと下って行ったところの「茶たての清水」のおいしかったこと。

2012年8月27日月曜日

山の一軒宿


 宿の敷地内には「オンドル」がありまして、要するに岩盤浴ができるようです。若女将に使い方を尋ねたらゴザを敷いてバスタオルでも枕にして仰向けに寝ていればいいとのこと。幸いにも利用客は私どもしかおらぬようで、ゴザを貸してもらいほぼ占有しておりました。オンドルは小屋になっていて天井はテントが張ってあり側面は葭簀(よしず)がめぐらしてありました。熱すぎず、肩こりの肩に心地よく効いたような気がします。

 目の前に混浴風呂があって、着替えるところは男女別ですがふたつあるお風呂は一緒になります。野っ原のようなところにあるお風呂は周りから丸見えですので、昼間はさすがに男どもしか入っておりませんでした(当然無視)

 夜になりましたら、温泉の湯気立ちのぼる敷地に本物のランプが灯されます。それでも、広いので真っ暗です。今年の夏は熊が出没するとのことで宿の方は気にかけておりましたが、夜は9時までとの規則で営業しておりました。私どもは夜も結局、オンドルを利用したのですが、真っ暗な混浴の露天風呂の方からは男女の明るい声がいたしましたね。

 昼間はトンボが飛び交い、夜は星もきれいでした。標高は1100mぐらいの山の一軒宿で、出される山菜や山魚の料理はおいしく、気のせいか腹の調子がよくなったようでした。

森のくまさん


ある日森の中 くまさんに 出会った
と二人不自然に大声で歌いながら山道を分け入りました。

 朝、この「長沼」というところに行ってみたいと相談しましたら、若女将さんが案内図をくれました。何か音の鳴る物持っていますかと言うから、きょとんとしておりましたら「今年は熊が出ますから」と首からかける鈴を貸してもらいました。

ある日森の中 くまさんに 出会った
花咲く森の道 くまさんに 出会った
くまさんの 言うことにゃ お嬢さん おにげなさい
スタコラ サッササノサ スタコラ サッササノサ
ところが くまさんが あとから ついてくる
トコトコ トコトコと トコトコ トコトコ♫

(歌詞をよく覚えていませんでしたねぇ…)

 途中に湿原をみて花なんぞを楽しみまして、少し山道を上がっておりましたら大きな沼がありました。水面を渡る風が涼しくて、木のベンチに横たわったりなんぞして至福のときを過ごしました。

 ここらへんは火山地帯。温泉の蒸気が噴き出しているところ(噴気孔)や、ぼこぼこと噴泥活動をしている“泥火山”が随所にあります。この辺一帯にある沼は、昔の噴火口であったところなのだそうです。逗留する山の温泉宿もそういうところにありました。

 忍び寄る秋の気配は感じるのですが、まだまだ日差しは強かったですね。

 沼のほとりで寝そべって空を見上げておりましたら、黒い蝶が拳にしばらくとまって離れませんでした。誰かの化身ではないかなどとつれあいが言っておりました…!(^^)!

2012年8月26日日曜日

山の温泉宿


職場を去ってちょうど一年が経ちます。

今日から山の秘湯でのんびり過ごします。

敷地内には露天風呂、岩盤浴があります。

北東北には混浴があるのですねぇ…(*^_^*)

峠越え


 冬には雪で通行禁止になる岩手県北の八幡平アスピーテラインを越えて行きました。昨年の同時期、逆方向に降りて行こうとしましたら濃霧のために視界がきかず通ることができませんでした。なんとか樹海ラインの方を通って下山できました。ですからこのアスピーテラインを通過するのは初めてでした

 途中、ヘアピンカーブで上り一辺倒のその坂をなんと自転車で登っている若者がいるではありませんか。パーキングで休憩してつかまえて話を聞きましたら、大学生で下関から来て今日で19日目とのこと、励まして別れました。しかし、頂上近くに上って行きましたら、そういうサイクリングの若者の一団が大勢おりました。彼はグループから遅れていたのかな、独り旅だったのかな。

 県境を越したところに今晩の山宿、初めての逗留です。

2012年8月25日土曜日

岩洞湖ライブ

後ろ姿のポニーテイルの方が東京からのボーカリスト

 広域合併によって今では盛岡市なってしまいましたが、北東の高原地帯に藪川というところがあります。ここは戦後の開拓農村。ここで催される岩洞湖ライブに誘われて今年も行ってきました。横沢さんという方が率いる盛岡地元のジャズバンド(Heart to Heart)のライブです。今年で10周年になるそうです。1年前から予約をとって参加者の生オケなども企画され、仲間たちの見事な喉も聴くことができました。

 夕食は恒例のBQ大会で、本番であまりジャズが聴けなかったのでトランぺッターの佐藤さん(水沢の人)にリクエストいたしましたら、気軽に応じてもらえました。東京から日帰りできた女性のボーカリストの素敵な歌声とともに。よかったです。

 宿舎の水が冷たかったな。

姉妹猫

いもうと?アクティヴ
狸猫のいもうとです。やんちゃっぴ~。じっとしていません。
あたし、狸猫(?)リラックス~

出発



早朝の来訪者、姉妹のにゃん

おねだりに来ているのではありません。

朝涼みと単なる興味津々の様子。

我が家のお勝手口で“勝手”にしてます。


土曜日の朝から東北へと旅行に出かけました。

2012年8月24日金曜日

ちょっと混立て


 冷蔵庫に頭を突っ込んだり、冷凍庫を覗きこんだりしたままつい考え込んでしまうことがある、はっと我に返る、素早い動作が肝要なのに。
手前麦みそでもろきゅう(摘花きうり)の昼食
 主夫を始めてかれこれ1年。夕食のメニューを考えるのに頭が痛い。せっかく考えた献立(のようなもの)をすっかり忘れる。だから、必ずメモをしておく。そのメモがなくなったらゼツボウすることがある。たいしたものではなくすぐ考え直されるのだけれども、せっかく考えたその手間がフイになるというのがくやしい。
 冷凍の食材を使うときなんぞは、必要なものは解凍を忘れないようにしなければならない。逆に解凍したことを忘れないようにしなければいけない。
 お米を研いでおく、「田舎味だしパック」で味噌汁の出しをとっておく。絶妙のタイミングでそれらをしたいが、つい忘れてしまいがち。
 「田舎味だしパック」で出しをとって、この冬自分で仕込んだ麦みそを使った味噌汁がおいしい。今のところモノになっているのはこれぐらいだなあ。そうだもうすぐ秋になれば玄米味噌も楽しめるはずだ。むふふ。
 あさってから、ちょっこしつれあいと東北の温泉へ。上げ膳据え膳だ。やったぁ。

2012年8月23日木曜日

母の背で観たおつきさん


ないごてお月さんなついてくっと?
さぁ、ないごてやろかいねぇ
泣きやまぬ私を負ぶって戸外に出てあやした母
自分がお月さんであったようにその情景が脳裡にある
昭和30年代の町角

あんたたちにはあんたたちの生活があるから、よか
ずっと独り暮らしをさせた

母の気丈をよいことに、すべてを先送りした

すっかり認知症がすすんで、いけんもしようがなか、
というのを振り切って帰るときのつらさ

あら、どこのよかにせどんかっち思うた
施設のなかで他人のお世話になり愛されて眠るように亡くなった

4年目の命日、忙しく暮れた

猫に職はない



 吾輩は猫であって仕事はない。縄張りを巡回するという習慣はある。勝手気ままを持っている。

 だから所属しない他人の家の勝手口を好むのだろうか。ちょっとしゃれになっていない。

 世に背を向けているのではない。木陰の勝手口でちと涼んでいるだけである。吾輩は猫であってあきるのも早い。ちょっと涼めば気が済む。習慣になっているから縄張りを気ままに巡回する。少しここが気に入っているだけである。

2012年8月22日水曜日

4年目の夏に


今日のようにやはり暑い日だった。消灯された特別養護施設の端の一室、母の部屋だけがこうこうと蛍光灯が点きドアが開け放れていた。介護士、看護師の方が待機していた。意識のない母には紫斑ができ手足の末梢が冷たく、姉とつれあいと私の三人で必死にマッサージみたいな摩擦をした。呼吸は酸素マスクでほぼ強制的のようにさせられていた、がそれも途絶えがちだった。ときに容態を診に入室して来る看護師さんがやるように摩擦をすれば、心臓の動きを示すグラフが動いた。危ないとなればサチコさん、サチコさんと看護師さんや介護士さんが励ますように呼びかけた。

今夜から深夜にかけてが、母の最期だった。だから日付的に言えば明日23日が母の命日だ。そうして「よく頑張ったねぇ、サチコさん」と看取られて逝った。

明け方、夜勤開けの介護士さんが最初に葬儀場に線香をあげにきてくれた。そのときも「よく頑張ったねぇ、サチコさん」だった。

今日は我が家のゴーヤに花が複数咲いていた
正直言ってつらい仕事です、そんなとき不思議にサチコさんに声をかけられました、ほっとさせられることがありましたと複数の介護士さんから聞いた。

天寿を全うしたとはいえ、看取ることができたとはいえ、母親を失うというのは心になにかぽっかり穴が開いたようなものだった。それも月日が忘れさせる。4年が経った。兄が墓も移したので、故郷からもあしが遠のいた。

その間につれあいの両親の津波による思いもかけぬ死。不慮の死。なぐさめようもなかった。実家もなくなる。叔父夫婦一家もほぼ全滅。そういうことに直面した、劇的に。

私たちに親がいなくなり、故郷も事実上失った。そうして私たち夫婦が祖父母の立場になった。つれあいの姪っ子夫婦には二人目ができたらしい、そしてこの秋には陸前高田の高台に家を建てる。たったこの4年の間のことだ。

生きろ。


 オオデマリは落葉樹だ。数年前、姉のところを訪ねたときに連れていてもらった益子の陶器市。その路上で苗木を買い求めた。道端を見上げれば、オオデマリ(大手鞠)の名の由来通りの花姿がいっぱい見られた。姪である姉の子は5月生まれで、このころに咲くこのオオデマリの花が好きなんだそうだ。それで自分の結婚式にもふんだんにこの花を飾っていた。

 春になると芽吹き枝に葉が出てくる。しかし、我が家のオオデマリは病気なのだろうか、夏になる前に、まるで紅葉するかのように葉が赤色になり、みな落ちてしまう。毎年のことになっていた。だからあまり育っていない。もうあきらめようかと思いつつも、水遣りだけは続けていた。

 そうしたら、今年は最近になって再び芽吹いてきた。頑張れ。

2012年8月21日火曜日

「アマミちゃん」

20日の夕方思い立ち、左の浅鉢から右の鉢に植え替え

8年ほど前のことだと思う。奄美大島の南部、古仁屋(こにや)と加計呂麻島(かけろまじま)を訪ねた。南の島といえども、2月であれば風は冷たかった。

さとうきびでつくる酢の産地を皆で訪問したのだった。同じ鹿児島県の福山の酢(「黒酢」として有名になった)よりも、なお神秘的な酢ということで注目して出向先に取り上げてもらった。なにしろ、人工的な菌の植え付けという介添えをしないのに、さとうきびの絞り汁と山の湧き水と甕と甕の備え付け方の条件(砂地の上)によって自然に酢酸発酵する。しかも、その菌は奄美大島南部にのみ生息するらしく、他の地では自然発酵しない。仕込みから約1週間でシュワーと炭酸のような初期発酵がみられる。その様子にも出遭えた。

さとうきびから酢ができる。暑い南国で酢は島の貴重な調味料だった。そんなこんなの実態を知ろうということでみんなと一緒に訪問した。ここが南の島かと思えるほどの寒風の中、帰り支度をしてJAの出荷所のところにたむろしていたら、かわいらしい蘇鉄の苗の一群を見つけた。売り物なのだろう、一番小さな鉢に蘇鉄の実からちょっと芽吹きした程度の赤ちゃんのような苗で、持って帰るにも手ごろそうだった。買い求めたいと申し出たら、JA職員で産地案内を引き受けてくれた川谷卓三似のIさんが、よかったら持って行ってと金は受け取らず好意に甘えた。

たしか、三度目の鉢替えになるのかな、これまでの鉢から取り出してみたら根が太くいびつに縮んでいた。これまでさぞかし窮屈な思いをさせていたのだろう、悪いことをしたなと反省。やぶ蚊に刺されながら鉢替えを終えた。そのときの記念にと持ち帰って、記憶をたどってあのときのことを想い出した。

 我が家では赤ちゃんのときから育てたこの蘇鉄のことを「アマミちゃん」と愛称している。

2012年8月20日月曜日

伸びろやゴーヤ


 盛夏の緑のカーテンいいですね。
 みなさんのところはゴーヤが繁茂して収穫もなさっていることでしょう。
 ところが、私のところのゴーヤの成長ようやくこれからのようなんです。いつだったか、随分前なんですが、ホームセンターの店頭でくたっとしていた売れ残りで半額処分、もう捨てられるだろうなと思ったら、つい買ってしまった苗。だめもとで、植えましたところすぐに茎が伸び花まで咲かせました。よかったよかったと思っておりましたら、茎が地を這うようにしか伸びません。弦も支柱に巻きません、介添えしても次にみたときはくたっとしておりました。
 やっぱりだめだったかな、とあきらめておりましたところ、次の茎のやつが担任の先生に気に入られた学級委員のごとくすくすくとまっすぐに、しかも几帳面な感覚で弦を巻きつつ天に上るように伸びて行くではありませんか。とうとう、支柱を超えましたので、ネットをとりだし張ってみました。さて、どうなることやら。

2012年8月18日土曜日

8月の土曜日

ホタテ尽くしの豪華な夕餉、トンボのフランスワイン


 AYAさんの教室に2週続けて出ていなかった。何してたっけ?

 ほら、前々週は川越で「さよなら原発デモ」。自転車で行ったんでしょ。それで東北からホタテ送られて来たのにほったらかして。あわてて、翌日食べた。
福島県伊達市の飯舘村の仮設住宅を慰問

 そして先週は福島だったでしょ。そうだった、ついこの間のことだ。お昼にはみんなで味噌汁つくってお話合いしましょなんて牧歌的な目論見。現実はお盆の帰省ラッシュで東北道は55kmの波状的渋滞、着いたのは夕方。とって返してこちらに帰り着いたのは最終電車。

 励ましに行ったのだけれども、飯舘村の菅野栄子さんたちの健気さを逆にいただいてきた。夕暮れの飯舘村の皆さんのための仮設住宅。線量計の光る寂寥としたモノ言わぬ空間に、聞いてはいたことだが、家族がバラバラ、村のつながりがズタズタなのを感じとった。なんとも言えぬくやしさが絞るように込み上げてきた。

オトモダチ作戦


 今朝もお友達がお見えですよ、と言われる。

 オトモダチと言われてもなあ、あの狸猫が我が家固有の領土である勝手口をどのように侵犯しているか我が家をあずかる主夫としてはいちおう見ておかねばならぬ。

 つれあいが勝手口を開けてもこいつは逃げない。いつも向こうをむいて寝そべっているらしい、ときには我が家を覗きこむ姿勢がみられる。ところが、私が寄ると構える。そっと近づいたつもりだったが、すぐに察知されてしまった。今日も目と目で対峙することになる。我が家に一歩でも入ったら、直ちに強制送還するつもりだが、狸猫の方も一歩もひかない。ここは自分の縄張り、藪蚊にさされつつも実効支配している。だから主権はこっちにあるといわんばかりだ。朝に夕に現れるらしい。

 それで、こちらも朝夕に我が家固有の領土を巡視観測することが日課になりつつある。ネコだからといって偽善噴飯の「オトモダチ作戦」などの姿勢をとる気はない。毅然と対処、排外するのみ。こちらには操作しやすい軽佻浮薄の「世論」がついている。今夕は見かけなかったが、それはそれで拍子抜けものだ…。

 とうめん残暑なんざんしょなんて…。 そのうち♪あぁ秋には色づく日がぁ♪だ

2012年8月16日木曜日

伸び~


お行儀なんかよくない。

たまたま、つれあいが先週末にいただいたたくさんの野菜を保存食にしておいてくれた。

お昼は朝のお弁当に使ったご飯の残りで、面倒だから釜ごと食う。おかずはタッパーごと食らっている。どうせひとりだ。そも洗う食器の数は減らしたい。

ただ、腹いっぱいかき食う。生存しているだけ、そんなお昼ごはん、だな。

つれあいには職場のお盆休みがあって昨日までの5日間、お昼も一緒だった。朝昼晩がおいしかった。「あなたの盆休みでしたね…」なんて言われてしまった。

猫が横たわったポーズ。ネコが伸びをしたポーズ。

車を持っている意味


軽とはいえ、「そもそも車を持っている意味があるの?」と痛いところを突かれる。今朝の会話。

買い物に行く以外はそう使わない。昨秋、カーナビを買って甥っ子に装着してもらった。さあ、人生これから。カーナビさえあれば、と臨んだが遠出をしたのは1回きりだ。省エネこれは信条なので、買い物さえも自転車ですます。20,30kmなら自転車で行く。そのために、自転車も買った。

乗っていないな、危ないな。この猛暑続きで、気にはなっていた。それで、昨日、孫の顔を見に行くのに息子のところへは車でいくつもりでいた。

保険屋さんを通じて、修理屋さんにきてもらった。バッテリーはいつ交換しました?ん~と、つい最近だったような…。前も同様なことで購入した車屋さんにきてもらった。ボンネットを開けてもらい、バッテリーの日付を見ると201074日と大きく書いてある。保証期間はだいたい2年ですからねぇ、交換時期だったかもしれません。また、やってしまった。

それで、ジャンプ(応急処理)ではなくて交換をお願いした。常に電流は流れている状態ですので、エンジンをかけて蓄電をしないというのはバッテリーにとっては過酷な状態なのです、たとえ30分でも週に2、3回は乗るようにしないと、とかなんとか諭されてしまった。確かに、2年前にも車屋さんからそう聞かされた気がする。

オイル交換にも行かなければ、まずい今日は定休日だ。あした早速行こう。

8・15の過ぎた今日は猛暑になるらしい…。

「なすのナッちゃん」


 つれあいもお料理総合ブログ「お野菜をたべよん!」の読者なので、かねてよりレシピのメモをしたり記憶に留めていたりするそうです。それが役に立ちました。私どもも相次いで、きゅうりと茄子をたくさんいただきましたので、その一部を「きゅうりのキューちゃん」風に調理し、そして昨日は応用で「なすのナッちゃん」(ワタシの命名)風をつくりました(8月3日付『カンパ~イ!?』参照 「キューちゃん」の方は煮上がり後の食感が今ひとつでしたので、ちょっと重しをしておきましたらバッチグーでした。あっ、つくったのはつれあいです、アタシは口を出すだけ…。家の中の徹底おそうじをしたのは主夫のワタシです。つれあいの盆休みが終わりました。

 

吾輩は猫であって名乗るほどの者ではない

なんか、文句あっか?!


 吾輩はどこぞの飼い猫である。この家の者ではない。たまに兄弟と来ることもあるが、吾輩はこの家のとくに勝手口を気に入っている。ここの日陰に寝そべれば心地よい。今日のような猛暑の日はなおさらだ。ここは吾輩の縄張りの散歩道にある。勝手口の網戸からはキッチンがのぞける。腹が空いているわけではない。寄ってくるこの家の初老の親父とは目と目で対峙する。暇人なんぞに媚びるつもりなどない、否、寄らば切るつもりである。ばあさんのときにはリラックスしている。吾輩は何故かこの家に興味津々である。

2012年8月15日水曜日

双子のお孫ちゃん

向こうが姉のマコちゃん、手前が妹のリコちゃん

 息子(長男)は盆もお仕事。つれあいの盆休みが今日までなので、こちらから会いに行くことにしました。久しぶりに車を出そうとしましたところ、エンジンがかかりません。どうも、バッテリーがあがったのではないかと考えられます。車はあまり使っていませんでしたから。急きょ電車で行ってきました。

 ちょっと見ぬ間に成長するものですね。6か月が過ぎ、双子とはいえ二卵性なのでよく区別がつくようになりました。わたしらが忽然と現れたのでマコちゃんもリコちゃんも最初は唖然としておりましたが、そのうちに抱かれたりひっくり返されたりしておりました。マコは向こうのおばあちゃんに、リコはうちの三男に似ているような気がします。私らには二人目三人目のお孫ちゃんです。

8・15、3・11


カナカナカナカナカナ カナカナカナカナカナ

 もう、こりごりだ2度と戦争はすまい。そう心に決めた日だと解釈している。

 私らの親の世代。父は現地応召で兵隊に。母は空襲を経験している。つれあいの父と叔父も兵隊生活を経験した。この義父にいたっては兵隊生活が終戦まで6年半の長きにわたった。母方の叔父二人も入隊した。下の叔父は学徒動員、フィリッピンで死地を彷徨った。大学の恩師は特攻艇震洋の小隊長として出撃したが、輸送船が九州沖で撃沈され海を漂いながらも九死に一生を得た。Kさんは満州で志願兵となりシベリア抑留で辛酸をなめた。

 平和でありたいということはそうたやすいことではないな///。とはいえ、その苦労を超えて平和でありたいと考える。ひとを殺す、傷つける、その逆もいやだ。単純明快。

 そして3・11を同時代のこととして体験した。原子力を兵器で使うことは勿論のこと、エネルギー源として使うことも、これまた、もうこりごりだと深く考えさせられた。

 我が家の片隅からセミが飛び立ったらしい。

桃のおいしさ、ひとときの果物生活

おいしかった~

 被災地の菅野さんたちからいただいた桃のおいしかったこと。さすが福島産と言える味でした。袋に無造作に7個詰めただけで揺らされながら持ち帰ったのに、幸い傷んではおりませんでした。

 そしたら先週、生協で迷わず注文していた「福島の糖度保証桃(あかつき)」1kg箱も届きました。冷蔵庫には思い切って買ったスイカとメロンもあります。ご機嫌になりますよね。

 果物なんて買う余裕を持っていなかったと思い返しています。果物を買うぐらいなら、肉・魚・野菜が信条でしたから。メロンだ、桃だ、葡萄だと生協のカタログを横目で見ながら、季節の風情を賞味することをパスしていたような気がします。もちろん、まったく買い求めなかったわけではありません。ふと思いましたね、あと何年生きるのだろうと。先般、男の健康年齢は70歳ぐらいだと発表されたばかり。まして、福島は果物の王国、「買うべし」から始めています。季節の果物のジャムづくりはつれあいがここのところ欠かさずやっています。なお、ハウスものは買いません。

私の憂うつ

福島市松川の仮設住宅「飯舘村直売所松川店なごみ」

 息を呑み立ち尽くす空間、跡地とも廃墟とも言いようがないのが3・11の被災地です。ときを追って、敢えて申せば「モノ言わぬ空間」私にはそう思えてきます。あたっていない表現かも知れません。あの地震と津波。そして直後からの放射能禍。

 当時の海水(うみみず)とヘドロ、破壊されたモノモノ、屍、…。臭い…。陸(おか)に揚がった船、ひっくり返った車、ひっくり返っていたのは車だけではなくコンクリートのビル…。

 加えて、今日流布する「放射能怖さの東北バッシング(or「関東以北バッシング」)」。これらの心なさに背筋が凍ります。なにが心ないかって?原発事故以降の事態についての恐怖、それにたいする判断や行動はいろいろあるとしても、数々の東北バッシングにはにんげんというものへのリスペクトや被災者や遺族への思いやり、そして生産者の置かれた状況と奮闘への想像(イマージン)がないからです。立ち向かうべき相手が違うことは勿論のこと、私には軽佻浮薄、ときには卑怯さ・えげつなさ、己が可愛さのみが見て取れて暗い気持ちにさせられます。

 己が放射能禍の被害者であることを嘆きながら、その矛先をより深刻な被害者に向け罪なき人々を絶望と卑屈のどん底へ突き落している行為に思えます。被災地の「モノ言わぬ空間」に乗じて「モノ言えぬ空間」にしていこうとさえ思えます。3・11の直後から起きてはいましたが、今日Web上で扇動する者がいて増幅されているように思えます。

2012年8月14日火曜日

ヴィンテ~ジ?


 床下収納庫から果実瓶をひっぱりだしました。ラベルをみると2006年に漬けた梅酒でした。あるのはわかっていたのですが、見るのがこわくて。今日は休肝日。なれど、食前酒は「料理のうち」という解釈で少しいただきました。うん。さて、今宵も茄子と獅子唐を中心とした野菜尽くし。お盆休みのつれあいの手料理に浸っています。主夫ワタクシではこうはいかないものですから。スミマセン。息子娘たちはみなお仕事…。

2012年8月13日月曜日

茄子づくしの思い


 今朝のことです。ピンポンとチャイムがなってご近所のMさん、軽自動車で乗り付け。つれあいのママ友。年下なれど、ちょっと親分肌。今朝採れたからからと、茄子を山ほどいただいてしまいました。と言ってもMさんがつくったものではなく、Mさんの嫁ぎ先の本家の農家でつくったもの。お裾分けのおすそわけ。「ぎゃっ、」とは言わずいただきました。この人の家の玄関には、壺に入った只今成熟途上の玄米味噌があります。そう、貴女たちの言うことなら間違いない。被災地支援のためならやるべしと、この冬「飯舘村支援 味噌の里親プロジェクト」にご協力していただいたこころの友。ありがたや。

 今宵も茄子を中心とした野菜づくし。まるで収穫祭のように。今夜の茄子は焼きナス。つれあいの両親は珍しいキリスト教なので、仏教式のお盆がどうのということはないのだけれども、これもなにかのとりあわせ。大津波で亡くなって一年五か月とちょっと。大正生まれで「天皇陛下の兵士」6年数カ月の兵役を生き延び戦後を支え、さあこれから百歳までも生きなんとしておりましたが、自然の猛威には抗えず天にあっという間に夫婦仲良く召されました。

 夕餉は先輩のUさんにいただいたボルドーワインを開けました。おとといの夕暮れの福島の仮設住宅の情景が浮かびます…。気仙沼も高田も女川の情景も目に焼き付いています。自分だけではなく、みんながともに幸せでありたい、私はそう考えています。

2012年8月12日日曜日

茄子のマリネ他のお野菜尽くしの夕食


 こんばんは。「♪お野菜を食べ四!」です、パクリでごめんなさいwww
 食材は基本的に生協(配達(パル)とお店(コープ))なんですが、茄子と獅子唐は訪ねて行った飯舘村の被災地のみなさんから昨日いただいたものです。あっ、大根も(甘酢漬け)。
 今日の夕ご飯ちょっとおいしかった。今日は隣の晩御飯に突撃されてもいいよね。「いつもなんですか」と訊かれれば、「いつもです」と答えられるよねと、会話とアルコホールが進む。ひっく。

こころを背負って、初老の君よ走れ


 ようやく最終電車に継続する便に間に合った。大宮を川越方面に出る埼京線は単線かな?ひと駅目で「上りの電車の到着が5分遅れているので5分止まる」という(つまり行き違いするようだ)。まじかよ…。乗り換えの「♪最終電車に」乗り遅れてしまうではないか。JR川越駅から西武電車の本川越駅までは速足でも12分はかかる。その時間がない…。結局3分遅れで到着。残り10分。

 リュックには、持って行けと被災地のかたたちからいただいた野菜の山。マスダさんが車中で仕分けしてくれた大根1本と茄子と獅子唐が山ほど、それに私の大きな地図帳が入っている。大根を無理矢理収めた。手には特産の桃7個。いずれも被災地で風評を気にしながら泣くような思いをして手にかけた農作物。こころを大切にして、いかに重かろうと大事に持って帰りたい。でも、まさかこんなにいただくとは。こんなことになろうとは…。走る、ひたひたと。だが、思うように走れない。朝3時起きで、7時半から夜の10時半まで車に乗っていたとしても、私が運転していたわけではない。ずっと運転してくれたツノさんの疲労に比べれば、なんのことはない。走れ、メロスだ。だが足があがらない。走るような思いで歩いている、こうなれば競歩だ。心臓がばくばくする。だが、見よ、あれが本川越のビルの灯だ。すべりこむ。週末の所沢行き最終電車の座席に腰をおろすや否や、手の甲といわず、腕といわず、額といわず、頭頂といわず、汗が噴き出す。ひといき、いれて「間に合った」とCメールを打つ。健気に生き抜いている被災地のひとたちに思いを寄せ、仲間のひとたち、我が健脚に感謝する。
 
 今朝も早起き、なんにしようかねとつれあいが調理をはじめている。茄子に獅子唐に大根。

*画像は、お届けした支援の玄米味噌(福島県飯舘村「さすのみそ」を種味噌にしてみんなでこさえたものの一部)。福島市の仮設住宅内にある飯舘村直売所松川店「なごみ」の店長熊谷さんと、今は伊達市の仮設住宅に住まう飯舘村の菅野さん(飯舘村佐須農産加工グループ)。

2012年8月6日月曜日

きのこ雲

ナガサキ67年目の夏
鹿児島から長崎に鉄道で行こうと思えば遥か彼方だ。車でも同じこと。遥か遠いところ。そういう距離感が頭にずっと植え付けられていた。鹿児島県の最北、出水の温泉に行き鶴渡来地を初めて訪ねたのは数年前のこと。当地から、北西の天草の山向こうにきのこ雲が当時見えたというのを知って驚いた。

にんげんの

無念に

黙祷