2012年7月25日水曜日

梅シロップぜりーづくり


市内のM先生の指導でひと月前に梅シロップをつくっておりました。今度はそれを使って梅ゼリーをみなさんと一緒につくりました。材料は梅シロップ、シロップ漬けの梅、COOPゼラチン、COOPただの炭酸水。冷やしたりしますので所要時間は約1時間半。
つれあいのデザートに提供しました、ふふふっふ。

2012年7月16日月曜日

7・16さよなら原発10万人集会の日の号外

ひっぱりだこでしたね。もう出たのって。

今日の富士山


今朝の富士山(家から駅に向かう途中)


夕方の富士山(駅から家に向かう途中)
17万人もの集会(主催者発表/警察発表7万5千人)のことはさらりとしか報道しないニュースで、富士山が7月にくっきりと見えることは稀だと伝えておりました。晴れて南風が強かった一日でした。旗がよくなびき、掲げた手製のアピールが飛ばされそうになりました。パレードの途中で冷たい飲料の差し入れがあったのはたすかりました。

7・16さよなら原発10万人集会

 今日各所で猛暑だったそうです、東京もそうでした。

 朝は10時前に出発。富士山がはっきり見えました。渋谷の地下鉄駅から会場に辿り着くのに2時間はかかりました。渋谷の街で全国から集まってくる人たちと交差しました。人、人、ひと。なかなか前に進みません。集会では第1ステージの司会者講談師の神田香織さんが今日の参加者は17万人であることを演壇から報告しました。

 人、人、ひと。約3kmの道のりを2時間半かけて原発はいらないという主張をみんなと一緒に訴えて歩きました。帰りの電車の中で腕をみたら日焼けしておりました。帰ってきたら夕方も富士山がくっきりと見えました。7時ころのことですが、この時間でもデモ隊の最終列がまだ続いていたそうです。歴史のなかに確かにいます、声ある者として。もらったビラを我が家に貼っていましたが、こんどは「7・29脱原発 国会大包囲」に換えます。

2012年7月12日木曜日

ドナ・ドナ


もう2週間も前の金曜日のことになります。そう、あの首相官邸前の抗議行動が10万人(主催者発表)を超したという6月29日の晴れた昼下がり。

愛用の自転車を粗大ごみで引き取ってもらいました。市にお願いしておりましたものです(有料500円)。

10年も以上前のことでしょう。どこかのホームセンターの目玉商品で買いました。最初はつれあいの新車として、次にそのおさがりを私が、そのまたおさがりを再度つれあいが通勤用として愛用しました。使っている間にベルも前籠も、後ろのタイヤもそっくり入れ替え、ライトも取り換えました。そのたびに近所の自転車屋さんにお世話になりました。スタンドが壊れていて、パンクしたらとうとう前輪もタイヤごと取り換えなければいけないということになりました。それで、もはやこれまでと廃車を決意しました。結局長く使おうと思えば価格訴求品は高いものについたということと、近所の自転車屋さんに修理だけたのんでいてはそりゃ申し訳ないということで、今度は国産のB社ブランドを買い求めました。実は我が家では震災以降、B社ブランドの購入はこれで3台目。

安物だったとか、修理費が嵩んだとかいいます。しかし、雨の日も風の日も日照りの時も昼間は野ざらしの駐輪場でご主人の帰りを待ちました。出張の時には幾晩も夜空を眺めていたことでしょう。私たちの通勤を支えてくれたのが代々の愛車くんでした。思えば酷使したものです。

ふと我が家の窓からみたら、まだトラックに載せられて出発していないところでした。あわててカメラを持ち出し、シャッターを切りました。

偶然、翌朝の「朝日be」で「ドナ・ドナ」には、抑圧されたユダヤ人の悲しみや、黒人公民権運動やベトナム反戦運動でアメリカの暴力性を告発する意味でフォーク歌手のジョーン・バエズさんに広められた、メッセージ性があるものという来歴が紹介されていました。

ある晴れた 昼下がり リサイクルセンターへ続く道 引き取られていった私らの愛車。

名前もつけなかった愛車くん、お疲れ様でした。

2012年7月4日水曜日

ふるさと


私のふるさとには原発があります。
原発のある川内は私のふるさとです…。

川内(せんだい/鹿児島県)の中心街から約10km離れた川内川河口の左岸、久見崎(ぐみざき)から寄田(よりた)という静かで美しいところ。春になれば潮干狩りに行きました。旧制女学校の遠足はこの地であったそうです。片道3里の道のりを徒歩で行き帰りしたことを母や叔母たちから聞かされ驚嘆しました。海に臨めば甑島が見えます。秀吉の時代には島津の軍港として朝鮮侵略の軍隊が送り出されました。永久に帰らぬ夫を待つ「想夫恋(そうふれん)」という踊りが伝えられています。松林が続きすと~んと海になります。昔日の林間学校でみた遠く東シナ海に沈む大きな夕日が忘れられません。砂は白く、緑は濃く、空は青く、風は清しく、海は紺碧色。私の幼いころの情景。

ここに、鉄条網に囲まれた巨大な建造物があり、もはやその松林の中に入ることはできません。陸側からは見えません。九州電力川内原発が稼働したのは1985年。私が故郷を離れて10数年後。私が高校生のころ建設計画が発表され、当初から地盤の不安が指摘されていました。堅固な保守的風土の町で共産党の人たちをはじめ幾人かの大人たちが街頭に出て訴えていたのが印象に残っています。遠巻きに聞かぬふりして聞いていました。聞く耳もたぬ人たちが大勢であったのも実態だったと考えます。その後、実際に1997年には北薩地震(M6.6)が起き、当時この一報を聞き「やられたっち」思いました。震源がもう数km南に寄っていれば危ないところでした。

ふるさとに原発がある。私には重い事実です。

現在進行形で、今度の日曜日(7月8日)に投票が行われる鹿児島知事選挙が実施されています。地元の「南日本新聞」によれば、再稼働には条件付き容認の現職伊藤祐一郎(64)さんの優位が伝えられています。対立候補で、「南方新社」という実に骨のある地元出版社の社長である向原祥隆(むこはらよしたか)さんが再稼働反対の立場を鮮明にして追い上げています。まだ、3割の人は決めかねているそうです。

広瀬隆さんの資料から
「脱原発」では食えんという意見も聞かれます。しかし、ずっと中央(国)の方を向いてきた官僚県政が続いてきたというのが実感です。民・自・公の県政ではどこでもいのちと暮らしがたちゆきません。「生き方」を考えるべき投票のことを訴えています。

また、7月29日には山口知事選挙の投票が予定されています。変えたい、原発再稼働や原発建設をさせてはならない。今度は「民意の薩長同盟」で「福島の無念」に歴史的使命を担おう!結び合おう。そう、考えます。未来のために、子どものために。

2012年7月1日日曜日

私にできること


今朝の平和行進で人のを見て私も透明傘で「原発いらない」のをつくることにした。
黒テープがすぐ出てきたが、あっ足らなくなった。買いに行かなきゃ。

大飯原発正門前からの中継をみている(駆け付けた人たちに頭が下がる)。
首相官邸前と同じ訴え、叫びだ。
再起動反対(って間違えた)再稼働反対、原発いらない、大地を守ろ、子どもを守ろ ! !  ! わっしょい わっしょいダ
ツイッタ―で誰それ構わず現場からのつぶやきには頑張れとつぶやき返す。

「さよなら原発、いのちと暮らしが一番大事、変えよう鹿児島、向原祥隆」
なんとかつながりつくらなきゃ・・・、あと一週間だ

議事堂前からもらってきた7・16のビラにラップをかけて、両面テープを張って家に張ることにする。

新宿行かなきゃ(「原発やめろ、野田やめろ」だ)、あっ、急がなきゃ・・・、


#間違いなく歴史の中にいる#