2012年6月13日水曜日

NNN「心なき福祉 札幌・姉妹孤立死を追う」


NNNドキュメンタリー‘12(制作 : 札幌テレビ)

6月10日(日)の24時50分からだったので、つまり夜中だったのでさすがに録画して観た。 わずか30分という短さを感じさせない中味の詰まった報告だった。08年末のあの「テント村の状況」は変わっていない。民主党への政権交代は期待を見事に裏切っている。タレントの母親の生活保護受給でのバッシングに、これを取り上げた国会議員の意図と扇動の胡散臭さ、鉄面皮を感じる。

番組で登場した行政窓口の課長さん(当時)は、あくまでも本人自身が「申請」をしなければ援けることはできなかったという。申請書を渡すことすらしなかったのか、手を差し伸べられなかったのかとやりきれない気持ちにはなり(番組の意図もそうなのだろうが)、開き直りにも似た印象をもつが、待てよと感じた。この課長さんは顔も名前も出してインタビューに応じている。行政の杓子定規・「限界」を体現しているように見えるが、言外に何か言いたかったのではないだろうかと、ふと思ったりもした。

それにしても市会議員とか弁護士とか支援団体とかの同席があれば、現実には対応が違っていたはずなのにと涙ぐむ。ただひたすらひたむきに生きようとして「相談」という救いの手を求めたにもかかわらず、窓口を引き返す姿が浮かぶ。困窮の果てにこの「豊かな日本社会の片隅」で餓死同然・凍死して果てた姉妹の壮絶さを想像する。

こんどの日曜日6月17日にBS日テレ(午前11時~)、CS「日テレNEWS24 (午後6時半~)で再放送される。必見に値する。
同ホームページより

■NNNドキュメンタリー‘12ホームページより
1月、厳寒の札幌のアパートで、40代の姉妹が遺体で見つかった。姉が病死したあと知的障害がある妹が凍死したとみられている。料金滞納を理由にガスが止まった部屋…生活困窮の果ての死だ。姉は生前、生活保護窓口を3回訪ねたが、申請書をもらうことすら叶わなかった。市は「生活保護の押し売りはできない」と弁明。だが、姉の面接記録などから、市の積極的な姿勢は感じられない。孤立死を防ぐために相談者宅を訪問するなど、踏み込んだ対応はできないのか。上田市長は「行政の力量が足りない」とその限界を口にする。3回助けを求めても救われない現実。市民の命を守るはずの福祉行政に、弱者を思いやる心は見えない。



■反貧困ネットワーク ホームページより
                                                 2012年6月11日
バッシングを利用した生活保護制度の改悪を許さない声明
反貧困ネットワーク
(代表 宇都宮健児)
タレントの家族が生活保護を受給していたことに端を発して、全般的な扶養義務の強化など生活保護制度の改悪の動きが広がっている。現在の社会情勢や市民の生活実態が無視され、一時のムードで将来に禍根を残すような改悪が進められようとしている。

しかし、扶養義務の強化はこれまでの世界的な流れに逆行する。近代的国家においては、たとえ成人した親子間でも扶養義務を課さないのが通例である。すなわち、扶養できるだけの能力のある人は、その分、税金をたくさん納めることで責任を果たし、政府が所得の再分配を行って市民の生活を支えることになっている。

いまの日本では、生活保護を受けられるはずの人が利用できず、実際に保護を受けている人の割合はせいぜい20%台と言われている。扶養義務が強化されると、ますます生活保護が利用できなくなり、餓死や孤立死が増えることは火を見るより明らかである。

扶養義務の強化によるしわ寄せは中・低所得者世帯に集中し、これまでかろうじて貧困に陥らずにいた世帯まで貧困化することになる。とくに、少子高齢化のもとで扶養義務を負うのは若い世代である。政府は子育てを応援すると言うが、子どもの教育費などでギリギリの生活をしている世帯が親の扶養まで強いられることになり、貧困の連鎖がさらに加速することになる。

生活保護を利用せざるを得ない人たちは家庭環境も複雑な場合も多い。扶養の強要によってこれまで以上に家族関係がこじれ、いっそう孤立させることになる。それだけでなく、DV被害者や虐待を受けてきた人たちが加害者の扶養を強要されることになったり、加害者の影に怯える彼ら彼女らに生活保護の申請を諦めさせたりすることになる。

「美しい家族主義」は幻想にすぎない。家族が互いにいたわり合うためにこそ、生活保護をはじめとする社会保障の充実によって市民の生活を支えることがさらに重要になっている。

今回の一連の騒動で、生活保護を現に受けている人たちも不安な日々を送っている。今こそ「声なき声」に耳を傾けて欲しい。生活に困窮し、生存を脅かされている人たち、社会から孤立させられている人たちがたくさんいる。生活保護の役割を大きく評価し、さらに使いやすい制度にして、この人たちに憲法25条で保障されている生存権という人権を行き渡らせることこそ、いま求められている。

私たちは、誰もが人間らしい生活ができる社会を目指す皆さんと手をつなぎ、生活保護に対するバッシングを許さず、生活保護制度を改悪させないために行動する決意である。
以 上

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