2011年12月24日土曜日

武雄さん



つれあいの母親陽子さんの姉の子。一番年長の従兄弟だ。母方の実家の当主。
生まれてすぐに父親は出征して長く帰って来なかった。復員して帰ってきても長いこと懐かなかったらしい。そんな不憫な武雄さんを娘時代の陽子さんはよくかわいがったそうだ。武雄さんの母親も父親も早くに亡くなり、叔母である陽子さんを慕った。陽子さんは面倒見がよく誰をもかわいがり誰からも慕われたけれども、幼いときのこともあって武雄さんはまた特別だった。

母方の実家は、一関と気仙沼の中間ぐらいにある。このたびの突然の被災と不幸に武雄さんはいくら甥っ子とはいえ、我が身のことのようになって走りまわった。あのときのことだ、ガソリンも電気もなかった。長い時間並んでわずかなガソリンを手に入れ被災地を往復した。避難所生活をしていた義兄に替わって何から何まで世話を焼いた。しかも、皆の前ではいつも控えめに振る舞いあくまでも縁の下の力持ちに徹した。口数少なく、わたしにはいかにも「東北の人」然としてみえた。

それであのときのお礼にと「恵那の栗きんとん」を送った。つれあいのお気に入りで上品なお菓子だ。相手の負担にはならぬようにと高額のものではない。お礼の電話をもらって気持ちだけだからと、お返しは要らぬからと念を押した。それにもかかわらず、地元で取れたりんごからつくったという缶ジュースを選んで送って寄越した。四月にうちの息子たちが支援に行った時おいしいと言っていたからと。地元JAのブランドだ。しかし、このジュースがまた本当においしい。私は仕事柄、昔いくらでも食味をしたことがあったが、こんなおいしいジュースに出遭ったことはあまりない。

あのときの武雄さんの献身的支援、まさに我がことのように考え我が身になって行動していた。地元どうしの気持ちでかゆいところに手が届くそれ以上の支援だった。
被災地の支援、被災のことを我が身になって考える。そのことだ。

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