2011年12月23日金曜日

大鍋屋



大鍋屋、去年泊まった旅館の屋号。
つれあいの実家の並び。
港の側の部屋で両親と食事をとって私たちはそこに初めて泊まらせてもらった。
そして3月のあのとき、二階を残してみな流された。

北九州の坂口さんから素敵な絵葉書で礼状をいただいた。達筆で冒頭にお悔やみも述べてあった。東北に縁故もない故、思いもよらなかったと。

よく考えてみたら、昔、私もカレーぐらいはつくっていた。大鍋ふたつぐらいも。食べ盛りのころは、「6人家族は大家族」の実感があった。そんなことで子どもたちもだいぶ大きくなってからだけれども、食洗機を買った。塩でも洗剤替わりに使えるという特徴も気に入って。便利だよと年配のご婦人たちからつれあいが常日頃うかがっていてその気になった。ところが、いざ使ってみたら意外と食器を並べるのが面倒くさい。時間もかかった。わかっていたことだが、お湯も電気も余分に使う。いつしかつれあいは手洗いの方が手っ取り早いと言って使わなくなっていた。そして家族も減っていった。

追い詰められた“にゃん”のように、なんでも切羽詰ってからやるもんだ。
それで、日がな一日パソコンに向かっている。もう数日経つ。そうなのに一向に埒が開かない。学校のときの8月31日のようだ。日数はいくらでもあったのに。毎日、明日が来るのにできていない。考えが袋小路に入る。中断する。

在るのに見えていない存在になっていた。広いシンクのはずを、塞いでしまった食洗機。暮れの大掃除で、つれあいはこの場所取りの代物を食器カゴの替わりで使い始めることにした。かつて、うちは大家族であったこともあらためて思い出した。

暮れの大掃除は引き受けるつもりでいた。それなのに手も付けていない。
それで、仕事はまだ現役のつれあいが休日にいつもの年のように黙ってこなす。
換気扇はずして、ガスコンロの五徳はずして、粉石けん使って。
食器カゴはずして、クエン酸使って。
何も語らぬそのうしろすがたが怖い。

カレーならつくれる。半額処分にひかれて焼き肉用牛肉を二パック買ってきて、これでいいわいと昨日カレーをつくった。大鍋分いっぱい。そうして自転車を駆って隣町に行った。暮れてからこのスポーツ車に乗るのは初めてだ。昼間は慣れた道とはいえ、林道は真っ暗だ。たよりないLEDライトと感だけが頼り。一年ぶりに東京演劇集団風の公演。演目は「ヘレンケラー」。待ち合わせてつれあいと娘と三人で観劇した。すごい熱演、いつもこれが好きだ。たまらない。「ヘレンケラー」の公演は今季今宵が最後だったそうだ。興奮を胸に帰路を突っ走る。T、e、a、c、h、e、r Teacher!
夜遅く帰宅後、どうだと大鍋のカレーをふるまった。

今日が休みではない共稼ぎの息子夫婦。それで孫を預かった。かわいい盛りだ。
寒い、外はなおさらだ。シホさんが夕方迎えにきて、「一人も増やせなかった、それであったかいセンターにいるセンター長からどうするんだよと詰められた。」と言って帰った。

今日は朝昼晩カレーになった。それでも、まだ残った。
大鍋をさげてもっていくつれあいのうしろすがたは何も語ってくれない。

どうするんだよっていろんなことを夢見そうだ。みんなの鍋は大きく、私の器量は小さい。

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