2011年11月22日火曜日

音信

吊り上げるように眉と目を見開き、下あごを下げるように口を大きく開け舌も出し、両手はパーに開き受け容れていた。幼き頃そんな友達関係から始まったのだと思うのに…。だから、また、そんな人間関係になっていきたい。

 この歳になると親が亡くなった、孫ができたという音沙汰が届くようになってきた。今年はそれに、あの震災に関わった、或いは思うところあったという内容も加わる。

 Oさんからすぐに連絡をいただいた。すでに年金生活者とのこと。おつれあいの実家も宮城県だったそうだ。今回のことでお互いに初めて知った。隣接する町で今は広域合併で同じ市になっている。海岸の近くで津波によって家ともども流されてしまった。幸い家族は無事だったそうだが、仮設住宅住まいとのこと。被災当時、連絡もずたずたになって、確認したり助け合ったりしたのは旧市・旧町の感覚だったと思う。つれあいも未だに同じ市内だという実感はない。Oさんから誘いがあって近いうちにお会いすることにした。

 私の友人はイニシャルにするとタ行の人が多い。だからどの人もT君になる。隣町に住むT君から電話が来た。12月の予定が先週生まれたらしい。初孫は男の子だ。来年の12月が誕生月で定年だという。会社の業績がよくない、おれの意見を聞かなかったからだという。社内では干されているらしい。根はいいやつで有能だとは思うが自信家で浮いているのだと想像している。同僚のころはもっぱら聞き役にまわっていたので今まで付き合いが続いている。定年までがんばれやと伝える。おしゃべりで17分も聞いていた。お人好しなのに、ひとには誤解されやすい性格だ。

 熊本のT君からも電話をもらった。身体のあちこちの故障が著しい。休職がちだ。聞いていると傷ましいほどだ。彼も長い電話で、またも聞き役にまわる。経済的なこともあるだろうからなんとか定年まで頑張ったらどうかとすすめる。話はどうどうめぐりをするのだけれども、つまるところ職場ではいじめられているらしい。ならば、思い切って辞めることをすすめる。先に辞めた私が言うのであれば踏ん切りがついたとは言うのだが。彼は心身に故障を抱えているので、迷わずほんとにゆっくりできることを願っている。

 姉から家電に電話がくる。どうしているのと。雲でも眺めて暮らしいていると応える。そう、と。口にはださぬが、受話器の向こうで心配してくれているのか、あるいは興味があるのか。身ごもったチカさんがずっと入院していて心配だと知らせれば、私も入院したのよ、なんとかなるよと慰められる。

 大酒飲めるうちにみんなを訪ねて行こう。…あっ、控え目にやるんだった。

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