2011年11月13日日曜日

コンサート「秋に想う」



 もう2週間も経ってしまいました。10月29日土曜日のことです。ブログのアップが緩慢になってしまっています。

 玉川上水や府中なら無理すれば自転車でいけそうだなと踏んでいますが、そんな秋晴れの日、そんな無理はせずに電車を乗り継いで行きました。玉川上水というところは昔むかし福岡から転勤が決まったとき、右も左もわからず総務から送られてきた不動産情報で検討した地でした。なかなかいいところだなという印象が残っています。住宅の広さと家賃さえ合っていればこの地に住んでいたかもしれません。訪れたのはたぶんそれ以来でしょう。

 シャンソンといって思い浮かぶのは越路吹雪さん、美輪明弘さんでした、古いね。そういえば最近ではクミコさんやワサブローさんです。昔、東京への出張に同行した後輩から、銀座に近い新橋のシャンソン喫茶にいつのまにか連れていかれたことも想いだします。

 あのとき、つれあいの両親が津波で犠牲になったということはたちまちのうちにミュージカル仲間にメールで伝わり、お見舞いや励ましを次々にいただき、ついには寄せ書きまでもいただきました。当時、音楽をやっている人たちから聞いて共通していたのは、3・11の直後このまま歌やダンスをやっていていいのだろうかという放心状態だったようです。しかし自分は音楽をやりたい、そのなかでなにか復興に役に立つことをしたいと考え直したそうです。ほかの分野のひとたちも多くはそうであったと思います。

 聞けば両親は満州引揚者で東京下町育ち。結婚して武蔵野に移り住んできたとのこと。東北や三陸にはなんのつながりもないことから、つれあいの話を聞きおよび、そのためにチャリティーコンサートを開きたいと申し入れがあったのは5月のことでした。いてもたってもいられない、すぐ行動する。こういうひたむきな善意の人たちに幾人も出遭ってきました。シャンソン歌手の湯川あきさんもその一人でした。

 音楽大学がすぐ目の前にあって、オーナーはおそらくこの辺の地主さんではないかと思われるのですが、防音施設を備えたアパート群としゃれた喫茶店をもった敷地の一角にコンサート会場(「ホームギャラリー・ステッチ」)はありました。そんなに広くはない会場にぎっしり90人近く、前売り券を買っていただいた人はみな集まりました、当日「俄か受付」を引き受けましたので確かです。この日は、秋の文化祭などが重なり掛け持ちの人もおりましたが、とにもかくにも駆け付けてくださいました。

 湯川さんの家族とこの会場のオーナーそして私たちが裏方になり、「秋に想う」と題した手作り感のあるチャリティーコンサート。人柄の故でしょうか駆け付けたのは多くが湯川さんの長年のファンであるようでした。前段で3分間のあいさつをと言われ、つれあいがみなさんの前で体験と気持ちを語りました。いざとなれば、つれあいもなかなかのものです。清水智子さんのピアノ、松本みさこさんのアコーディオンで歌なしの演奏から始まります。私はクミコさんを聴く以外はシャンソンなど親しんだことがないので、なんかこう都会(パリ)的で「おのぼりさん」のような気分で曳き込まれていきます。でも、歌詞の内容は庶民的なんですね。

 23歳でシャンソンに出遭って40年、歳がばれちゃうねと言いながら軽妙なおしゃべりを添えて、唄いつづけます。「悲しみの終わりに」という曲は、ヨーロッパで起きた洪水のあとの歌なのだそうです。最後の曲「生きる時代」というのは愛があれば生きていけるというモチーフの歌とのこと。一部、二部に分けての熱演、終わればアンコールの嵐。「用意してあるわよ」でつごう21曲ほど、人を泣かせる歌があり、とくにミュージカル仲間は涙もろい人が多いらしく肩をふるわせているのが後ろからみてとれました。つれあいのご近所仲間で駆け付けてくれたMさんもおいおい泣いたと言っていました。40年のなかでは「愛・平和・命」の三本柱で青梅沿線ではチャリティーコンサートも細々ながら続けてきたといいます。『愛の贈りもの』というCDも全財産を傾けてリリースしたとお客さんを沸かせます。

 「心の闇は、ひとはひとでなければたすけられない」という湯川さんの言葉を私は書き留めておりました。

 もう2年も前になる、どうしても壁にぶつかったときがあった。プロの歌手だというプライドを置いて、市民ミュージカルに加わった。それが素人にすぎないつれあいとの出遭いでした。ただそれだけのご縁でしたが、苦楽をともにした皆さんは感情豊かな人が多いように感じます。このたびの催しにはひとりひとりに手紙を書き、入念に準備を積み上げていったそうです。コンサートのあと、私たち夫婦と演奏のお二方とともにご馳走になりながら、そういうお話を聞きました。

 その日の収益金をすべてつれあいの故郷の気仙沼復興支援のために使ってほしいと託されました。後日、被災者である友人とも連絡をとりあい、結局気仙沼市役所の当該の部署に寄付をいたしました。
 
 湯川あきさんはライブ活動をしながら、メモリアルコンサート「金子みすずの詩を歌う」などの司会・ナレーターとしても活動中です。

0 件のコメント: