2011年9月10日土曜日

思いが同じ孤高の芸人

 予定では1時間45分の案内でしたが、松元ヒロさんは2時間5分も演じていました。「3・11」を越しての1年ぶりの「ひとり立ち」公演。3回目らしいですが、新宿の明治安田生命ホールでの初日公演、満席でした。7月のうちに真っ先にチケットを確保しておいたので前の席で観ることができました。あまりにもよかったので今年はつれあいを誘いました。開演前にうしろの席を見渡しましたら、永六輔さんや小池晃さんと思しき顔をみかけましたね。昨夜のことです。

 この人から昨年、祝島の運動の話や核や原発、広瀬隆さんの話を聞いておりました。また、昨年は岩手の生協の人たちに招かれてものづくり(大船渡の醸造屋さんなど)のひとたちの話も聞いておりました。今年はその原発の話が2題(ドキュメント映画『100,000年後の安全』を紹介)、紳助さんの話にひっかけて暴力団との付き合いの実体験が1題(組との付き合いに巻き込まれた一度の経験を紹介して、今では「組」ではなくて「組合」ばっかしという落ち)、そして全国の公演のなかで香月泰男さんの記念館で観た心の動いた感想話が1題、故郷の話が1題。アンコールはその日のラジオニュースに合わせたパントマイムの熱演です。

 下劣なテレビには出られない、出ないお笑い「芸人」ですので、題目になんの遠慮もありません、婉曲ながらものごとの本質には辛辣です。爆笑の渦なのですが、ペーソスと共感を覚えるのです。難しいことをやさしくそしておかしく、ホントに誰でも難しいことはそのまま有耶無耶にありのままに表現してくれます。思いと目線が同じなのです。そういうことを、公の場で代弁してくれる快感です。そのことを「3,300円払って地下(会場は明治安田生命の地下)に集まって聞いてくれる人たち」とヒロさんはファンたちのことを揶揄します。それが本質と実態をついていてまた爆笑。

 山口県長門市の香月泰男さんの絵画「私のシベリアシリーズ」に描かれた抑留兵士たちに命令を聞く顔、死ぬ前の顔、死んだ後の顔を見てとります。表情がない、ということ。私は長い間の職場にそれを感じ始めていたことを想起しました、おそらく私自身も。半径500m以内に香月泰男さんはいくらでもモチーフを見出せたそうです。なんでもないことに。そのことの紹介にはっと勇気づけられました。

 公演のアンケートにろくなことをかけませんでした。でも、思いが一緒である人がいて、そのことを表現してくれる人がいる、そのうれしさをそのまま書きました。明日まで公演しています。岩手のようにこんな人を生協でも呼べたらいいなと考えていますが、大きくなったところって、無表情になっていくのかな…。

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