2011年9月15日木曜日

お日様の匂い

 深窓に居る。昼間はどこにもいかない。
 垢を落とすように身辺整理をしている。それで一日置きに私の学習机(長男のおさがり)の表面が現れる。何事も現役時代に全部頭に入れて整理されていたらよかったものを、「積ん読」でとっておけば気が済んだから、今がある。それでも、ひとつひとつ見ないでは捨てられない。だから効率が悪い。相変わらずだ。それでも過去を消し去るように捨てていく。いつもの反省だが、あらためて今必要なものは何がどこにあるかわかるようにしようと思う。

 ずっと放っておいて埃をかぶったセパレーツタイプのCDラジカセを作動させてみた、CDは回らないがカセットは動く。ラジオも聴ける。捨ててもいいのだけれども、カセットを流している。70年代のものだ。

 書類が揃ってきたのでハローワークに行こうと思うが気が重い。
 病人は爪がのびると聞いたが、爪もだが鼻毛も伸びれば垢も出る、不思議だ。

 畳三畳分ぐらいの庭が生まれたころの生家にはあった。茶の間兼寝室の四畳半一間には縁側があった。庭には高い塀があったから日当たりがよかったかどうか知らないが、物干しがあって母親が夕方に布団を取り込めば、体当たりのように身体ごとのめり込むのが好きだった。お日様の匂いがして気持ちよかった。今、その生家よりはずっと広い家に住んでいる。ベランダから取り込んだ布団に同じように身体を預け、しばしお日様のふかふかを楽しむ、サザエさんのような髪型をしていたころの母親を懐かしむ。

 夕方になれば、ごはんを炊いてつれあいを待ち受ける。今日は何をしていたのと尋ねられる。家の中が顕著に整理された形跡はまだ見えない。
 しばし、深窓に居る。

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