2011年5月10日火曜日

安らかに

 自分がもし死ぬことになったら恐らく未練がましいと思う。
 もっとおいしいものを食べたかったとか、いろんなところに行きたかったとか、見苦しく、みっともなく…だ。可能性がある。
 しかし、他人事なら「人間いつかは死ぬ」のだから仕方のないことだと思っている。だいたい60年も生きられたらいいではないかと思っているふしがある。まだあの歳で亡くなって可哀そうだと言うこと自体、意味がないではないかと思ってしまう。「充分生きた」と他人事なら思っている。

 叔母さんは世間体を気にしてか帰って来ていたことを母にも言わなかった。悦ちゃんは私が小学校にあがったとき6年生だったから60を幾つか過ぎていた。写真の学校を出て、結婚もせず定職に就いたようにもなく、放浪の末、母親のいる実家に転がり込んでいた。いつか、兄と一緒に叔母のところに前触れなしに挨拶に行って鉢合わせしたことがあった。一昨年母の臨終と葬儀のときには足腰弱って呆けた叔母さんを送り迎えしていた。態度はあくまでも控えめだった。

 その従兄弟の悦ちゃんが亡くなったと土曜日に姉から連絡があった。

 私達兄弟で花輪と香典を送った、葬儀は日曜日のことだった。

 悦ちゃんは双子だったから二男だったのか三男だったのかは知らない。ふるさとにただ一人いた従兄弟だった。

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