2011年4月9日土曜日

魚町一丁目二丁目三丁目

  つれあいの実家は魚町一丁目、大正時代から高度成長期までは商業の一等地。その名の通り、昔はここに魚市場があった。現在の魚市場もほんの少し南に行っただけの造成地のようなところにある。      

 実家の並びの五軒の建物は仲良く残った。ばあちゃんがいつも冗談で風が吹いてもここはいつも支えあっているのと言っていた。二階まで、背の高い姪の夫によればほぼ胸のところまで水が来た跡があったという。津波によって内部が破壊され、そしてガレキの山に襲われた。実家の向かいは鍵屋さん。みな屋号で呼び合う。酢・味噌・醤油を商っていた。流されて跡形も無かったが、「みんな無事」との立て札が立っていた。その隣は木田屋さん。りっぱな瓦屋根だけが残っていた。実家も古くからいる人には屋号で言えば「ああ、あそこの…さん」で通じる。      

 武山米店は実家の並びの角。ここに至る数軒が流されてガレキの山しかない。ここの建物はいかにも老舗の造りで市の登録文化財に指定されていた。かろうじて建っていたが、危険な状態。中の破壊はすさまじいもの。でもみな無事だった。別の地区にある倉庫で営業を再開しているとの札がぶら下げてあった。実はここの女将さん親子に姪は助けられた。当日、姪は非番で、所用があって子どもをつれて一関に車で行っており、その帰路に地震に遭遇した。すぐに家に電話をかけ、ばあちゃんの声を聞いている(これが最後になった)。実家に急行し、そして津波に襲われた。すんでのところで車を捨て、駆け出したところをこの米屋さんに「早く上がりなさい」と救われたそうだ。夫の「むっすう」くんは命の恩人だと言っている。    

 武山米店と二軒隣のヘアサロンの御隠居さんたちが、つれあいの母の茶飲み友達だったそうだ。    

 道路は三陸海岸を縦に貫く45号線。    

 旅館大鍋屋さん。三年前の姪の結婚式のとき、式の後、ここで両親と我々夫婦水いらずで(私が入ってそういうのかな?)食事をし、私たちはここに初めて一泊した。それで思い出深い。ここの息子さんは養子にいったらしいが、若くして自民党の代議士を務めている。    

 二丁目は海岸に面している。この海岸に面した通りを「魚町屋号通り」と称して町興し・観光資源にしようとしていたらしい。 気仙沼観光桟橋(エースポート)。大島航路の発着地。ここから見た実家の方向に地元酒造メーカー「男山」、崩落した事務所の二階部分が見える。これも市の登録文化財に指定されていたもの。






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