2011年4月20日水曜日

美学



 つめに火を灯すような生活をこそしてはいないが、これまでの人生、生活の「始末」はつけてきた、つもりだ。日頃1円2円のことを気にしている。節水節電は他人や政府に言われなくとも実践してきた。我が家の水光熱費は人聞きが悪いほど少ない。もちろん、一方で私達らしい「贅沢」もしている。我が家のお金には何かのときのためのそれぐらいの余裕はある。

 それで、我が身内と我が同胞に「いざ」というときがきた。
 こんなときに、ポンとお金を使う。どうだ!

 どうも、そういうDNAが我が息子たちにも発露してしまっているらしい。沸騰している。私にとっては「義理の」ということになるが、この子たちにとってはかけがえのない祖父母に起きた不幸。伯父一家の被災、従姉妹の困難に直面していることになる。
 それで分不相応の見舞金や社会への義捐金を拠出している。
 長丁場だ、冷静にと私はむしろ制御にまわる。

 長男は時間をやりくりして資格を生かしたボランティアをする。下の息子たちは職務をまっとうしたうえで、忌引きをとってこのたび被災地に向かう。夜を徹して行き夜を徹して帰ってくる計画だ。

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