2011年4月11日月曜日

止まった壁時計

 報道に見る陸前高田や志津川のあたり一面跡形もない光景と違い、気仙沼市街はまだら模様のように跡形もない区画と家の外観だけが残った区画が入り交っている。 外観も含めて残った家の中も津波によって破壊されている。そしてヘドロとがれきの山が残ったらしい。 非番だったのか義理の甥のむっすう君が実家に入り、一階茶の間の壁時計に気付いた。「3時32分」これが父母の最後になったと考えられる。 2時46分に大地震が発生し、直後の大きな余震が続いたとしても、津波が襲ってくるまで30分ほどあった。警報も鳴っていたはずだ。家の裏に逃げれば高台はあった。「もん」は2階から物干しに逃れた、「さきちゃん」は船会社兼自宅の3階に逃げてそれぞれ助かった。近所の茶飲み友達「武山のご隠居さん」も隣の「タマキ」のおばさんも逃げて助かった。このへんが一帯平地の陸前高田や志津川の一家全滅、地域丸呑みとは違う。 逃げずにそしていざとなって逃げ遅れた可能性を考える。なにも死なずにすんだのではとも。 (画像はむっすうくんのブログから借用した)

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