2011年3月29日火曜日

むっすうくんへ

どうしたのだろう
毎日のぞいているけど、更新がない
そっとしておいたほうがいいのかもしれないけれど、
そろそろコメントをいれる

介護の仕事はほとんど公務に近い労働であり人間の尊厳への奉仕でもある
それで多忙でへとへとで更新する暇がない、それどころではない
というのなら、その通りで、ねぎらいの言葉しかない

もし、あのとき3・11の出来事で、失ったものやつらい思いがあって、やりきれない思いがあるのなら、ありのままでいい。それでいい。
そっとしておきたい。
ただ、つらい思いがあるのなら誰かに聞いてもらうだけでもいいことがある。吐露した方がいい場合もある。叔父さんにも経験がある。

そうではなくて、
もし気力があるのなら、今の日常を描け。これまでどおりに描いたらどうだろう。大震災の前と以後では違う。そこは稀にみる被災地のひとつで、歴史的な災難を蒙ったところに、むっすうくんたちは生き残った。そして生き延びてほしいと思う。

誰がこんな経験をすることがあると考えただろうか。
むっすうくんたちが今体験しつつあることをありのままにつづっていったらどうだろうか。そして育ちゆくこうちゃんに伝えよ。その子に、そのまた孫に、そして子孫に、千年に一度の出来事であったのなら、千年分の子孫たちに起きたこと(これを君は先のブログで見事に描いた)、今起きていることを残そう。

じいちゃんばあちゃんたちは心の中にいる。
ばあちゃんは、じいちゃんの弟妹たち、自分の子供たち(叔母さんはそのひとり)、幾人かの孫たち(あなたのつれあいも)を育て上げた。
従兄弟のセイコちゃんなんてほとんどばあちゃんの背中で育った。

きっと、あの詩のように、千の風になっている ふたり仲良く
叔父さんはそう思っている。

「だいじょうぶだぁ」(ばあちゃん)「んだねぇ」(じいちゃん)

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