2011年2月17日木曜日

炎の魅了


 叱られた方は覚えているものだ。

 実家には五右衛門風呂があった。煙突がオンボロで先っぽから火の粉が出たりしていた。あるとき、煙がひどくて近所から苦情が出て、それ以来使えなくなったと記憶している。中学に入った年、家の増改築をした。そのときに取り壊したが、使えなくなったのは、ずっとそれ以前のことだった。

 だから、小学校の低学年だったのではないだろうか、その出来事は。

 日ごろ父親のやることを見ていたので見よう見まねで、あるとき私は一人で火をくべお風呂を炊いた。私も家事の手伝いができたと思っていた。
 ところが、恐らく仕事から帰宅したのだったろうか、これを見た父は火のごとく怒った、それもいきなりだ。褒めてこそもらえ、頭ごなしに怒られるなんて心外だった。私も腹立てたはずだ。
 小さい子どもが火を扱うなんてとんでもないことだということだったのだろう。もし、火事でも起こせばという心配が、諭すということもなくいきなり叱り付けるという行為になったのだろう。そういう人だった。

 こういう非教育的態度は、後年私にも多々あって親父さんと同じようなことをしていると内心嘆いている。叱った方の私はそのことをあまり覚えていないが、きっと子どもたちの心の奥にはあるはずだ。私自信の子ども心にあるように。

 それ以来2度と風呂を炊くことはなかった。
 それはともかく、なんというのだろう、あの「火遊び」が妙に魅力的だったことが心の奥に残っている。なにもかも忘れて夢中になったことを。

 あのときもそうだった。
 武田さんのところの山小屋はだるまストーブで暖と灯りを取る。ほかに何もない。この山小屋の持ち主はその熱で器用に料理をつくる。あの炎が、くすべる火が、魅了した。

 今宵、月の光が我が家の寝室に差し込む。
 明日も、凛とした空気のなかに北国の星空と雪景色を見られたらいいと思うのだけれども。

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