2010年11月17日水曜日

安心して食べられなくなること


 父は晩年胃を全部切り取っていたのでスタミナがなかった。栄養補給といってミルクキャラメルをいつも愛用していた。煙草も酒も嗜なまず、子どもの私からすればいい大人がそんなものをしゃぶっているのがおかしかった。というよりそのキャラメルが欲しかった。そんな訳で、文字通り親の敵のように私はキャラメルが好物だ。あと、餅と柿。

 本日、右上の奥歯もさんざんに削られた。左上の奥歯と併せて惨めになった。好物のせい、歳のせい、歯が破損していくのはつらいものだ。おせんにキャラメル、餅に柿、思いのままに食べられなくなるのはうらめしい…。歯は元には戻らない。

 と、そんな些細な問題どころではないぞ、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)。これは、えらいことだ。これほど安直で軽薄な選択と、ごく近い将来の深刻な打撃が想定される「政策」はない。国内の農業漁業という多面的な機能を売り渡す「政策」にほかならない。結局はアメリカの主導と輸出企業への政策だ。お金で済ます無機的な都市機能と景観だけが残り、水と緑と野山の田舎が加速度的に破壊される。そしてそれは必ず都市にはね返る。

 身近な食べ物、国産の農水産物、食べ物にまつわる文化も、田舎の景観も機能も、みんな打撃的になくなっていく可能性。すでに農業者が声をあげているが、よ~く考えてみたら消費者こそ他人事ではない。安心して食べられなくなることひとつとっても、とりかえしのつかない「喪失」と考える。今以上に格差も貧困も恐らく広がるだろう。

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