2010年11月12日金曜日

病老死


 モニター画面でこうなってましたよと、金属の被せをとった奥歯を見せられる。なるほど、真っ黒だ。30分ほどウィーンと削られた。神経(歯髄)はとうの昔にとられていたので、治療中も痛くはないのだがのけぞる。その神経がなくなっていたのがよくなかった。歯の痛みは耐えられないものだが、ここまで虫歯が進んでいることを気付かなかった。この様子をつれあいに話ながら、ふと思った。癌の病巣もひょっとしたらああなのではないかと。

 腕が上がらないわけではないけれど、肩にこれまで以上の凝りと痛みがあって、肩がうまくまわせない。布団に入って掛け布団を上に持ち上げるのもままならない。コタツに入って立ち上がるのにも手をつけば痛みが走る、やや不自由だ。

 人間は平等なのだと住井すゑさんは言う。
何故ならばと。何故ならば、どんなに権威を持っていようとも、どれほど権勢を誇っていようとも、いかに権力を振り回していようとも、いずれ人は老い、病み、死に至る。誰も避けられない。だから人は平等なのである、と。人は生まれながらにして、畏き人、卑しき人なんていないんだと。明快である。

 古代中国の皇帝も不老不死の薬を求めて蓬莱の島へ使者を使わしたらしい。過剰な権力欲と性欲の実践者だったマオさんも、身辺警護と健康管理には小心な関心を払っていたらしい。幾多の人々を死に至らしめた現代の皇帝も病老死には勝てなかった。お隣の“国防部長”さんもそういうことで、ようやく三代目を指名したということなのだろう。

 人は何故生まれてきたのか、人はどうして病と老いと死から免れないのか、こういうことをお釈迦様は考えたらしい。詮無きことと思わないでもないが。「縁起」「無常」すべてのものはつながっている、関係している。変わらぬものはない。執着を捨てよと、それで救われると。

 老人ホームに居た母が、介護士さんに声をかける。認知症であることはみな知っている。ところが、落ち込んでいるときに何気なく声をかけてくれる母に、元気をもらったと、その男の介護士さんは通夜のときに語ってくれた。あの状態なのだなと、「悟り」とは、「アーナンダ」と思った。

 人に身分の格差や差別はない。

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