2010年10月3日日曜日

クミコさんのコンサート


 小さな体のクミコさんが歌えば、会場がすべてクミコさんの歌で包まれる。どこからあんな声量がうまれるのだろう。そしてきれいな歌声が出てくるのだろう。小さく歌えば引き込まれ、大きく歌えば迫られる。

 それにクミコさんはTALKが上手だ。そして身近だ。フランクだ、なによりもマインドがいい。それは、後で余韻を楽しみながら飲んで語り合ったみんなも言っていた。そのTALKの中で、この会場は2年ぶりであることを、あんまりりっぱではない楽屋の様子で思い出したという。そう2年前だ。ご近所の妻殿の友達のMさんが隣町に来たこのクミコさんのコンサートに妻殿を誘った。そして、妻殿がとっても興奮冷めやらぬ思いで帰ってきて、どんなに楽しかったかと話してくれたのを、私も想い出す。私にそのクミコさんのCDを買ってきて聞かせてくれた。妻殿が、CDを買うなんて滅多にない。

 会場はほぼ同年代のご婦人が圧倒的だ。10年前に出会った人に言われて、別れた亭主の苗字をあっさり捨てた、それで名前だけにしたと、しかもカタカナで。そういう自己紹介めいたことからTALKは始まり、彼女はこれから歌う歌詞に込められた意味と自分の思いを2曲ごとに紹介する。例えば、紹介は遠慮がちではあるけれど、彼女は彼女なりのそして彼女らしい歌詞を選ぶ。だから、「百万本のバラ」も「マイウエイ」も聞き知っているものとは違う。「マイウエイ」なんかよくカラオケで滔々と歌う人生の成功者が我が道を振り返るような歌い方と歌詞とはまるで違う、優しい歌い方と歌詞だ。埋もれた人生、ミニマムなひたむきに生きた人生、ささやかな人生をいとおしむ「マイウエイ」で、「マイウエイ」でジ~ンときたのは初めてだ。妻殿も同じ感想をもらす。

 クミコさんはシャンソン歌手だ。そしてシャの字にも、フランスのフの字にもひっかからないようなそんなシャンソンが歌える。時代にかかわる歌が好きだという。思いをとげられなかった無名のひとたち、そこに通じる気持ちを歌うのが使命だという。夢は何ですかと訊かれると、ちょっと人をたすけることと答えると。愛を知らずに育つこどもをひとりでもいいからたすけたいという思いを述べる。

 この夜ピアノを弾いた女性は同じ年代だそうで、親しみを込めて“ジュンちゃん”と紹介する。30年来の音楽友達で、華奢に見えるが若いときはナナハンを乗り回していたと、そしてアタシと違って亭主を変えたとフランクに紹介する。ジュンちゃんのピアノに向かっている背中が恐縮する。一緒に仕事をするのは、このたびのコンサートが久しぶりだという。そのピアノ、そしてバイオリン(二胡も)、ベース、ドラムのバックもよかった。「五月の空」あたりでは会場からすすり泣きも聞こえてきた。これに再び誘ってくれたMさんなんか目を真っ赤にしていた。

 クミコさんは一期一会、どのコンサートもどれも違うという、去年ミュージカルを演じた妻殿もそう実感している。最初の時はちょっと大人しかった会場の拍手も最後は鳴り止まぬ感動の拍手に、そして再び幕が開き「INORI~祈り~」を歌う。

 平和はあちらからは歩いてこないと考えているという。10月25日はサダコちゃんの命日だと教えてもらった。歌手として女性としていくつもの苦労をしてきていても、素直な正当な気持ちをさらりと表現できるクミコさん。例えて言えば、横にいた同級生が、実はすごく歌がうまくて素敵な人だったのだと気付いたようなそんな共感で、ファンが広がる。そんな感じがした。だから、同年代あるいは少し年配のご婦人のファンが多い。

 最後にロビーでサインとツーショットをゲット。

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