2010年9月24日金曜日

縮こまり


 ニュースでは中国からレアアースが止められたと言って我が産業社会は動揺しているが、これを「食糧」に置き換えればその方がもっと深刻だと考えられるけれども、そういう発想の報道には至らない。

 いきなり涼しさを通り越して肌寒い。今年の初夏は寒く、梅雨が明けた途端猛暑が長く続き、今度はこれだ。極端から極端に振れているようだ。

 ご近所や団地の様子を見るともなしに見ていると、夜になれば雨戸やシャッターをぴたりと閉めるお宅が多いのに気付く。うちは同居するつれあいが閉所恐怖症なので台風でも来ない限りしたことがない。障子やカーテンを閉めるのならばわかるが、あれでは密室になるように思われる。それではそもそも息苦しいと我が家は感じる。しかし、その方が落ち着くという感性もあるだろうし、防犯もあるとは考えられるが、なにかこう閉鎖的な感じがして私らにはなじめない。密室にしたところで空調をかければ「快適」なのだろうけれども、まるで「この家の限り、あとは知らない」と言っているような気がしてならない。それも詮無きことかもしれない。「縮こまった社会」(清水真砂子さんの表現)若い人たちだけがそうなっているのではなくて、上の世代からもうかなりこういう社会が浸透しているような気がする。そのなかで、今度の我が自治会の会長さんなどは、意欲的に自治を活用しようとよく頑張っているし、夜回り、オオタカの森の保全活動など、ボランティアに参加する人たちもあって奮闘している。

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