2010年9月16日木曜日

余命幾ばく、煩悩

 モノゴトに終わりがあるように、ヒトには別れがある。
 
 とうさんの歳(62)はとうに超したのだから(いいじゃないか)、かあさんの歳(97)はとても超せそうにないし(あきらめろ)と、それはそうだとしか言いようのない慰め方をつい兄にしてしまう。
 
 寿命はあとこれだけと言われたら人間どうなるのだろう。

 今日健常にしていても、明日事故に遭うか、癌を発症したりしていつ果てるともしれない。まして加齢とともにこの世の別れのリスクは高まっている。ヒトゴトでもない。

 それで、人間身辺整理がそろそろ必要だと考え始めている。

 思うに女性問題(残念ながら)とか、借金の類はない。そのことで人様に迷惑をかけることはない。あるのは、モノとクズと後悔の山だ。きれいにこざっぱりしていたいとは考えるが、考えるだけでそれができない。だから、いつ死んでもいいとは言い難い。さらには、好きなだけ寝て食べて物見遊山してと、未練が多い。小さいころにただ雲を見てぼんやりと過ごしていたアレも、やろうと思っている。“糧を得るためだけになってしまった仕事”を終えたら。いや、ところが「ぼんやりと過ごす」ようになったら、今度はどうなるのだろうという不安や迷いさえ、頭をもたげてきている。
 
 覚悟したらとは、面と向かってはいえない、それを言ったらお終いだし、それではなんの趣きもない。かける言葉がみつからない。

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