2010年8月13日金曜日

生かされる


 人は心の中に何かの風景あるいは情景を持っている。心象風景であったり強烈に刻まれた人生体験であったりする。それを何かに画き留めておきたい、吐露しておきたい衝動にかられることがある。それでどうなるわけでもないけれど、ひとに頷いてもらいたいことがある。ただ、聞いてもらう、目に留めてもらうだけでいい。無意識にずっとそう思っているというか、意識の底流にあるものがある。

 小走(こばしり)さんから自著『夢かなう』(2009年11月)をいただいた。題は人につけてもらったそうだ。昨年、米寿を迎えられて人生を振り返られたようだ。はずかしがっていらっしゃったけれど、催促をしてわざわざ送っていただいた。子どものころはじゅうぶんにわんぱくだったらしい。連帯保証人による親の破産、それで丁稚奉公を始めざるをえなくなった10代の青春と、軍国青年としての満州行、そして兵役とシベリア抑留。シベリア帰りという身から一家を支えるべく行商から始めたこと。ひとを助けたいという動機を持ちつづけて商いを始め、そしてひょんなことから製造事業へ。事業主として中小企業組合の活動と運動。そのトップとして常にいろいろな立場にある組合員を支えてこられた。そうして「身を起された」と私は考えている。
 仕事駆け出しのころ私は飛び込みでこの人と出遭った。企業名を書かれた紙を胸に持って駅に待っておられた初対面のことを昨日のことのように覚えている。当時の小走さんは、今の私の歳だった。その人柄と凛とした風格に、私も歳をとったらこんな風になりたい、なれるのだろうかという強烈な印象をもった。人生ずっとそのことがある。残念ながら現在の私自身のことは恥ずかしい限りだ。お付き合いを重ねるにつけ、小走さんは私の印象に違わぬ人格を身に付けてこられてきた方だった。歳月のなかでそのことがわかっていった。折につけ、身の上話は聞いていたが、どうしても断片的で、一度もっとじっくり聞きたいと考えていたが、この冊子をいただいてうれしかった。お子さんに恵まれず、ようやく遠縁の若い人に事業を継承できたと電話の向こうではうれしそうだった。
 私の第一子、長男の名をつけるとき、この人の名前からもイメージして、一字をいただいて、そうした。

 沖縄では数年前から始まっていることであるが、人々の戦争体験が語られ始めている。NHKをはじめ、その秀作を観るのに今は忙しい。人は戦争のような悲しいこと、あまりにもむごいことは思い出したくなかったのだけれども、封印それではくやしい、やりきれないそういう話がリアルだ。人生りっぱなことだけではない、えらいめにあったこともある、悔いもある、戦争体験には筆舌に尽くせない極限のことがある、だから、聞きたい。

 ひとのことを自分のことのように思える、そんな社会ができたらいい。私は生かされているのだから。人は心の中に何かの風景あるいは情景を持っている。先週の生協のカタログ「KINARI」の2ページ目を目で追った…。

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