2010年8月6日金曜日

今年の原爆忌


 予定では、出産は今日だった。厳粛な日だと思っているから、今日なら今日でよかったとは考えていた。でも、先週無事に生まれた。それはそれでよかった。

 今朝は出勤を遅らせて、広島市長の平和宣言を聞いてから家をあとにした。旧社会党の系譜ならば、秋葉さんのようであってほしいと考えている。なにはともあれ、被爆者援護と核兵器廃絶は人類の急務だ、思えば今に始まったことではない。国連の潘事務総長、米国のルース駐日大使が初めて広島の平和記念式典に出席した、ようやくの観があるが、一歩進み出していることになるのだろう。菅さんは、平和宣言を聞いても核抑止力は必要だと水をさす。昨夏の政権交代の熱気はなく、旧態依然。失望と閉塞、何も変わらず小泉さんと実質的に同じことを言っている‘みんなの党’に引きずられる観すらある。短命政権はなにをしでかすかわからない。

 いつも会っていたいと思っていた。労組でヒロシマまで来たそうだ、新幹線ですぐそこだったが会いにはいけなかった、私はこちらの労組でナガサキに派遣された。それから30数年が過ぎた。めぐりめぐって、今はいつも二人でいる、そして今日の日のことを互いに考えている。言葉を交わす。

 風が強ければ夏でも茶畑の間から富士山が見える。猛暑であったそうだが、今日は職場から出でなかったので体感はない。こんな日の65年前に初めて核兵器が使用された。科学は知的探求やひとびとの幸福のために発展してほしいと思うものだが、近年の金融工学など悪知恵としか思えぬ発達をすることがある。人間は科学を人間のために役立たせることができるはずだ。

 クミココンサートの予約券を持っていて、ずっと先なのだけれども楽しみにしている。きっと『祈り』を聞くことができるだろう。

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