2010年5月14日金曜日

渡れぬ世


 職場のなかで別に筋を通してきたわけでもない。パフォーマンスや自己主張をしてもこなかった。

 変わり身の早さ。そのときにおもねっていたものにたいし、手のひらを返して次へおもねる。このくらいの歳になると、そういう芸当の輩が職場の幹部になるのをいくらでも見てしまった。それも能力のうちなのだろうが、苦笑してしまう。目が泳いでいるか、瀕死だ。それが世の中だ。そんなことを、ある程度納得するまで時間がかかった。お天道様はあまねくは見てはいない。

 目が泳ぐのは2通りあると思っている。「権力の糸にひっかかろうと(上昇のチャンスをつかもう)」(住井すゑさんの表現)とキョロキョロした目。一方は、はにかんでいて気後れした茶目っ気のあるオロオロした目。前者と後者ではエライ違いだ。でも、両方の場合もある。上昇したくて機会を窺っているが、その卑屈さに後ろめたさを覚えている場合だ。ところが、そういう者も地位に着くと、その後ろめたさが尊大さに変わる。そんな幾つもの「目」を悲しく可笑しく見てきた。歳を重ねてしまった。

 小説家の火野葦平さん(『麦と兵隊』など著作多数)もそういうものを横目で見てきて、戦後、詰まるところ自死に及んだらしい(60年1月)。「死にます、芥川龍之介とは違うかもしれないが、或る漠然とした不安のために」と書き遺して。その甥っ子が中村哲さんだと本で知った。腹を据えた人たちだ。

 体力のあるうちに、あまりストレスを溜め込まないうちにリタイアしようと心に決めていた。どうもずるずるといきていくようだ。

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