2010年4月27日火曜日

過剰


 実はあまり不便な暮らしをしたことがない。

 昨日のNHK「ゲゲゲの女房」を観た。東京に出てきて初めて買い物に行く。商店街が遠く、その買い物に行くのが大変だった、そもそも買い物籠もなかったというシーンだ。そういえば、小学生のときよく考えた末に母の日のプレゼントを買い物籠にしたのを想いだした。

“「生きる意味」を見失わせる「すること」の過剰”
 というカタログ(「Kinari」3月5回号)を横目で見ながら、おいおい、そしたらこのカタログ群の分厚さから実践したらどうだい、と思っている。今週はゴールデンウィーク(G.W)2週分ということでまたドサッとある。買い物依存症気味の私は律儀に目を通す。このカタログをつくっている人たちのことを思えば、新聞折込みチラシのように右から左へドサッと放り捨てることができない。一種の敬意を払って一応目を通す。それでも結局、ドサッと捨てる(回収にまわす)ことにはなる。

 家庭用品、キッチン用品に妻殿にも目を通してもらう。消耗品でなければ買えば家に溜まる。まあ毎週毎週こんなにたくさん商品もあるものね、ふんふんと真面目に目を通してから、つき返される。妻殿は賢い消費者、動じない。

 「あなた、この人の書いているとおりよ」「(あなたは)何事も多すぎるの。モノに囲まれているの」「それに気付いて」と。映画『こつなぎ』のパネルディスカッションで進行役をした辻信一さんを、あのときの人と身近に思い起こしながら、矛先がこちらに向けられる。私にも自覚がある。

  「言うこととやることが違うわよ」とくる、「ここだって」とカタログを見やる。

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