2010年3月17日水曜日

次の社会と明日の一苦労

 お日様が照っているのに粉雪が舞う。花嫁衣裳の狐は寒かろう。往く時は居眠りをしていたらしい。還りの送迎バスは一人きりで、ずいぶん坂道を降りて行く。やはり高原に居たのだった。平地に降りてきたら春の陽射しだ。畦できれいに仕切られた冬の田んぼが広がる。その先には里山が連なる。これから関東圏へ帰る。新幹線ならあっという間に着くが、またとことこと在来線にすることにした。

 高原から降りてきて広がる田んぼを見ながらふと思った。資本主義社会の真只中にいることを。お米を中心に食糧をつくっている農村の風景をながめながら、これから向かう東京を中心とした高層ビルと高架の道路網の都市の光景との落差を想い起こす。
 入会地、囲い込み、私的所有、富の偏在、働けど貧しくしかも困窮するに至ったひとびと、ソ連型社会や人民公社型農業の破綻、米国型の弱肉強食・軍事覇権、まるで王朝のような世襲、国家の在り方の変容、実態のない経済の破綻、浪費、・・・、どれもこれも教科書か古典文献で見て聞いたような典型をわずか50数年の生涯で目にすることになった。資本主義社会の本質を何か過ぎた歴史と錯覚していた。生身の同時代のことだ。

 資本主義社会もいつかその古い皮は腐食して新しい社会になるだろう。それを共同社会と構想するのか、協同社会、社会主義社会、新たな福祉型社会、とするのか描き方は違う。いずれしても、自立、自発、援け合う人間社会の在り方、人間と環境との関係、生産活動と消費のあり方、それぞれが問われる。組織とは難しいものだ。観念だけではよくならない、しかし観念なしにはもっとよくならないはずだ。ひとりひとりが社会を変えていく。

 帰る住処、我が家あるとはありがたいものだ。緊張と弛緩。ゆっくりと休むことができれば、明日への活力となるのが普通のひとだろう。ところが、ひとたび少し休むと仕事へ、東京へと行くのが一苦労になっている。気合をいれねば…。

0 件のコメント: