2010年2月21日日曜日

「恐怖のイモリ」


 家にテレビがあったかなかったかのころ、2年生のころだ。クラスの仲間うちではいつもテレビ番組の「恐怖のミイラ」の話題でもちきりだった。確か火曜日の次の日ではなかったか。テレビを観たヤツはこれをいかに恐ろしく伝えるか身振り手振り、聞いた側はそれをいかにも恐ろしく受け取るかで真剣だった。これにとりつかれたら、夜一人っきりでいることや、薄暗いところに行くのが心底恐かった。包帯をぐるぐる巻きのミイラは神出鬼没だったから。

 実は同じぐらいイモリが恐かった。

 髪が天然パーマの鉄郎君はクラス仲間で腕っ節が一番強かった。ずいぶん遠いところに住んでいてたまに遊びに行った。訪ねて行くには、家とは逆方向の小学校の向こう側、線路を越えてずっと田舎に行ったところにはうっそうとした林が続いていた。少し林の中を上がっていったところに沼があった。誰かが釣り遊びをしていると、時々、魚ではなくイモリがかかってくる。腹が真っ赤で、毒々しい色にぞっとした。あの沼には近づいてはいけない、その沼は皆が底無し沼だと言っていた。ひとたび、はまればじたばたすればするほど沈んでいくという、アメリカ映画によくあったアレ。そして何よりも不気味だったのがこの林の中腹に火葬場があったことである。沼からは赤い腹のイモリが襲ってき、林の中では包帯巻きのミイラに遭遇するのではないかと想像しては恐怖していた。

 我が街には近年、新幹線が開通した。乗れば無愛想な景色しかない、トンネルと林。

 昨夏、母の葬儀をした斎場からマイクロバスに乗って火葬場に行ったがそんなに遠いところではないことがわかった。新幹線の高架をくぐり、途中に造成された公園があって整備されたような池があった。はたと思い出した。火葬場の往復で位置関係などの記憶をたどってみたら、そこはあのころ林の中を奥深く進み、あれほど恐いと思っていたあの‘底無し沼’だろうと考えられた。開けたというのか、開発されたというのか、ふるさとはここまで市街化されたのかと感慨深かった。

 そして、そのイモリ(「アカハライモリ」というらしい)が絶滅の危機にあるという。なんということなんだろう。

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