2010年2月19日金曜日

てなもんやネクタイ


 積年の凝り固まりが背と肩にあるのだろう、ひと一倍。努力して肩甲骨を寄せる。

 たとえ話のなかで「毎朝、迷わないか?」と当時の中年の所属長に言われて、若い我々は顔を見合わせた。数本しか持っていなかったから、とっかえひっかえすればよかっただけのことで、そんな迷うような実感はなかった。

 ところが、さすがに背広の俸給生活者を長くやっていると、いっぱい持っているようになった。要するに溜まったのだが、あいかわらず物欲、所有欲は強いから捨てない。

 初めて買ったのは赤いニットのネクタイ。おのぼりさんで来たときに池袋のデパートで求めた。売り子さんが制服ではなく私服だったのに、まずたまげた。初めて買うJUNの紺のスーツに合わせて見立ててもらった。デパートというところはどうしても臆する。まして初めての東京だ。「逃げる」か「言われるままに買う」かのどちらかにひとつの田舎モノだった。今、考えれば堤清二さん率いるところの70年代半ばの西武デパートでのことだ。

 幾星霜、大島紬、久米島紬、ミンサー織、伊予がすり、ナントカカントカ横文字ブランド、珍しいものでは屋久杉染めなど、段々に高いものを買い揃えてきて今にいたる。たしかに何十本かになるので迷うようにはなった。お気に入りはあるが、あのときの所長の例え話がよくわかる。

 自分では決して選ばないであろうと思う趣味のネクタイをひとからプレゼントされる。包装を開けて見ただけではちょっと後ずさりすることがある。ところが、これをしめてみると存外似合っていることがあるものだ。自分の意外な面を発見することがある。

 自分の好みだけにこだわっていては、実は自分のことがわかっていない。違う自分の姿があるかもしれない…そう驚かされることがある。何事も凝り固まっていてはいけないなと気付く。案外、自分で自分の首をしめてはいけないものだ。

 数は少ないが贈ってくれた人は私自身の知らない側面を観ていてくれたような気がする。

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