2010年2月11日木曜日

不承認


久しぶりに駅から事務所までの約100mを走る。なかなか走れるものではない。

あの日も今日のようなうす寒い曇天の日だった。四条河原町の辻角。若かったとき。

束を渡されたので、列を離れて繁華街の人混みの歩道に入ってビラを撒いた。
「これはなんですか」とふいに声をかけられ、「これは――」と顔を向けてハッと思った、詰襟にS大拳法部のバッジをみた。とたんにガーンと眉間に一発くらった。蹴りもきたのだろうが、鼻骨への打撃が大きくよく覚えていない。倒れこんだが、誰も気付かない。その学生も姿をくらました。単独だったようでそれ以上のことはなかった。

絶対不可侵の天皇制に恐怖を覚える。幸徳秋水を死刑台におくり、小林多喜二を逆さ吊りにして五寸釘のような錐を刺しこむむごたらしい殺し方をした。数多(あまた)の兵士を十字砲火のなかに突進させ、「志願兵」を飛行機に乗せ爆弾を抱かせて突入させた。あの狂気をおそろしいと考えている。電柱に貼ってあった「不屈の五十年」これをこっそり見に行って勇敢なひとたちがいたのだと感じ入った。

30代だったかな、我社で初級の英会話サークルに出ていたとき、講師のカナダ人女性が日本は天国だと言っていた。なぜなら日本は祝日が多い、カナダにはこんなにはないと。

紀元節に由来する。これを「建国記念の日」にすることは間違いなく無理があって根拠がない。戦前の紀元節は近隣諸国への侵略の節目になっていた。これを戦後社会にあらためて「建国記念の日」として復活させたのは、政治的布石でしかない。

ただの祝日のひとつとして過ごしているうちに「今日は何の日かわかっているのか!」とか言われて目を三角にした忠節たくましい人々に追い立てられてはたまらない。

わたしは2月11日を休まないことを主義としている。屈したくない。

あの日も私たちは丸山公園に向かい「不承認」の集会を開いた。目と鼻の先の祇園神社では「奉祝」の会が開かれた。

お昼は年配のご夫婦がやっている長崎ちゃんぽんを一人で食べる。
街宣車を1台だけ見かけた。
どんよりとしたうす寒い一日、冷たい雨になる、また雪が降りそうだ。

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