2010年1月24日日曜日

北茨城行


 あんこう鍋といえば今の季節。そして本場は茨城。お誘いを受けて二つ返事しかも夫婦で行きたいとお願いし、人様の運転で楽をし、本県出身の方の企画でご案内いただきました。ほうそんなことがあったのかとよい勉強をさせていただき、そしてあんこう鍋だけではなくいろんなおいしいものを食べることができました。

 通過したことはあったのかもしれないと思うのですが、訪れたのは初めての北茨城地方。天気に恵まれました、そこでのよい仕事をみせていただきましたから大変勉強になったわけです。

 茨城県の水戸と福島県の郡山を結ぶのがJR水郡線。水戸から北に伸びて、久慈川を遡っていく中山間部。栃木県と福島県の県境に近いところ。奥久慈というのだそうです。山間部ですがまだ険しいわけではなく日当たりのよいところのようで、冬の夜は冷え込むようですが、雪はあまり降らないとのことでした。ほぼありのままの岸辺の久慈川それに沿って伸びる水郡線からのんびりとした印象を受けました。商業的なお茶の栽培はここが北限の地であるらしいのですが、南の農産物の北限、北の農産物の南限のあたりであるそうでした。畑と林業が主な産業で、こんにゃくとお茶そして漆が名産であったそうです。
 北茨城の観光の定番‘袋田の滝’の先。大子(だいご)は「たいし」と読むのだと思っていました。この大子でわずかにつくられている「凍みこんにゃく」の見学。大子の街はさほどシャッター通りではなく何かほっとするものを感じました。山方(やまがた)は「山形」と書くのかと思ってしまいました。この山方で復活された「漆づくり」の見学。国産のものは岩手とここだけでもはや希少なものだと知りました。栃木県に近い美和というところでの原木椎茸、これらを販売している道の駅での繁盛ぶりを垣間見ました。ここの神社には実に大きな杉の木が祭られておりました。山、川、田に畑、日本にはいいところがあるものです。茨城自慢をそうかなるほどと少し見直したのでありました。

 太平洋に面した五浦海岸(「いづらかいがん)と読みます)の旅館で念願の鮟鱇(アンコウ)にありつきましたが、それだけでなく食卓はひらめの刺身、ホタテ、鮑など海の幸づくめでしたね。食べ物を残すのは信条ではないので、ほとんどたいらげました。寝る前に同室の社長さんたちと冗談の連発で久しぶりに大笑いをして腹の皮がよじれました。おかげで満腹の度を超えていたお腹もよく消化できたような気がしました。

 ちなみに、このあたりから太平洋戦争中アメリカに向けて「風船爆弾」が飛ばされたそうです。その「忘れじの碑」があるとのことでした。童謡詩人野口雨情の記念館も少し南にありました。

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