2010年1月11日月曜日

「故郷」


 昼間に『三人でおくる新春コンサート』を楽しんだ。三人とは渡辺昌子さん、有馬理恵さん、金井信さんで、独唱、一人芝居、ピアノ独奏などである。最後に「故郷」(高野辰之作詞)を皆で合唱して終わる。
 ここのところ私にとっては「故郷」は昔の山田洋次さんの映画のことだったが、久しぶりの唱歌「故郷」。♪「いかにいます父母 恙(つつが)なしや友がき」そのつながりがあまり無くなってしまった、♪「山は青き故郷 水は清き故郷」を訪れることがなくなっていくなあと思った。
 約100年前(1914年)につくられた唱歌だが、この列島の人々にとって「故郷」が激しく変化したことを考えてしまう。郷愁を誘ういい歌には違いないが、高度経済成長期に育ってそもそもこの「詞」に謳われた内容が乖離しているようには思っていた。「うさぎ追いし」などという経験はなくなっていたと思うし(子ども心に「うさぎっておいしい」のだろうかと思っていた)、例えば私の故郷の河川は汚染されて水は決して清くなかった。水質汚染などはある程度回復はされたが、その後も景観や生態系は著しく変化して今にいたっている。人々も極度に都市に集中し誰が米をつくっているのかどなたが野菜をつくっているのかわからない消費者になった。私自身もそのひとりで、コンビニのない故郷は考えられないと子ども世代は言っている。この「故郷」の歌詞の内容がなんのことかさっぱりわからなくなっていくのかもしれない。生活の変化でわからなくなっていくことはやむをえないことだとしても、それに伴い一種の情念が無くなっていくあるいは断ち切ってきた、人と自然とのつながり、人への関心がうすらいでいくことを、気付けば自分自身にもあるし、社会全体にあるように思えて肌寒く感じている。

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