2010年1月5日火曜日

現場から


 今年も明けて仕事2日目。トラブルを仕事にしているので心の休まる日はない。
 年を重ねることによって5年や10年が短く感じる。20年前なんてついこの間のことだ。
 もはや「総中流」意識を謳歌したのが牧歌的な時代に思える。あっという間に「総貧困」のスパイラルに向かいつつあるという危機感を感じている。家族を呼んでご馳走を食べていても、飲み会にいても、ストレッチをしていても、こころの片隅にある。切羽詰ってきているようにすら感じる。「貧困」とは単に生活の困窮だけではなく、たすけあい支えあう社会が壊れて行き、心の貧しい社会に向かうその息苦しさとつらさである。議会の政党政派だけでは解決しづらくなった。この目の前の事態に立ち向かったのが反貧困ネットワークをはじめとする草の根である。それでどの政党政派もこの問題は解決しなければいけないという立場には立っている。新政権になって一歩進んだが解決の道筋はみえない。
 一方で、ひとびとの生活が苦しいからといって、世はあげてモノの低価格志向につき進んでいる。製造者も流通もモノが売れない、シェアを維持していなければ「生き残れない」と悲壮感で臨んでいる。麒麟とサントリーが合併する、セイユーのKYのバックにはウォルマートがいる時代である。いつ潰されるか、併呑されるかわからない、気分はまるで欧米列強がアジアに押し迫ってきた帝国主義時代の様相だ。それで「坂の上の雲」「龍馬」なのだろうか。低価格志向につき進めば、安くつくるために人件費を削る。流通とて、どうあがいても売上は落ちる。現時点での勝ち組ユニクロ、ニトリのように常に拡大していなければならない。人権を削るような人件費の削り方はさすがに反撃をくらいつつあるから、中国など外国へ行く、ユニクロ、ニトリはとっくの昔に‘外国’を渡り歩いている。どうしようもないスパイラルに陥っている。
 外国に求めているのは恐ろしく低コストと細かい加工である。加工度を上げて、コストを安くする、これがチェーンストアの仕様書発注の真髄だが、そもそも矛盾することを求めていて無理がある。品質管理という名の、工程の細かい管理は人の管理でもある。システムは工程ラインの一部に人間を置く。したがって誰にでもできる仕事、取替え可能な部品然として人が据えられる。一次原料(農産物、水産物、林産物)は人手により見事なまでに加工されている。そのまま製品になるもの、加工素材になって原料としてさらに加工されるものがある。しかしながら、やはりトラブルが繰り返される。国内加工であったら恐らく避けられるであろうミスが発生する。そもそも製品にたいする感性が違う。日本人にとっては不具合であっても外国の人にはそうは映らない。そういうトラブルに日々接している。
既に空洞化を進めてしまっていて、外国に頼らざるをえない現状ではあるが、せめてというか、正当にというか食品加工はやはり国内加工を追求・再構築すべきではないかと考える。根本的に食糧生産、農業・漁業という私達の身近に生きる環境の問題も含めて立ち止まって考えなくてはいけない。そういうことを、もう多くの人が言っている。表には出ない日々のトラブルに接していれば、この思いは強まる一方だ。
 しかしながら、国内加工を再構築するとすれば製品価格は海外加工並みに安くはならない。今はいくら安くともいずれはいろいろな形でツケがまわってくる。低価格のスパイラルを突き詰めれば食品の安心・安全を保障できなくなる可能性を考える。

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