2009年12月22日火曜日

愛甲先生


私は高いところは苦手でいつも低いところにいる。常に地位は低い。だから、いくらおだてられても木に登ることはしない。

小学の、5年のときの担任は愛甲先生といった。とにかく絵のことを誉められた。図画工作の時間はきらいだったのに、まるで魔法にかけられたようだった。書く絵、描く絵を展覧会や品評会に出してもらった。表彰状がみるみる増えていった。あるとき、県で2等賞をとった。それではるばる県都まで母と二人で表彰会に出かけていった。よそ行きを着て行った。主催したのは県内では誰もが知っている銀行で、その本店の講堂が会場だった。まるで壊れかけた久留米人形(仕掛け人形)のようにぎこちなく大勢の前に出て行って並んだ。いずろ通りの山形屋デパートに行くのは夢のようなことだった。売場に並んでいるものや雑踏はこの世のものではないように思った。ご褒美に食堂でガラス容器に入ったアイスクリームか何かをおごってもらった。父は生きていたはずだが記憶に出てこない。もう身体が弱っていたはずだから家にいたのかもしれないし、そういうことに関心が無いほど気難しくなっていたのかもしれない。県都に行って帰ってくるのはひと仕事だったが、あこがれの都会だった。大きな階段のある駅。立ち並ぶビル。路面電車。そしてなによりも噴煙立ち上げるあの桜島を仰ぎ見るのが好きだった。子どもの目線からは果てしなく雄大に見えた。あのとき入選した絵のことは覚えている、子ども心に技巧を凝らしたなと、ちょっと恥ずかしい思いがあった。あこがれは夢見心地だった。

小学6年生になって担任が替わった。学業成績はまだ悪くはなかったが、激しく体罰先生だったので、性格が捻じ曲がってしまった。絵の腕前も価値では無くなってしまったので、どこかへ行ってしまった。もともとたいした才も無かったのかも知れない。数十年経ってそんな面影も欠片(かけら)もない。相変わらず木には登れない。

今日はゆず湯とかぼちゃの冬至、そして長男の生まれた日

4 件のコメント:

ハマタヌ さんのコメント...

私のブログがはからずもテーマ的になってしまって、貴兄のところに来るとホっとします。同じような日常なのに私は覚えていないのかもしれません。ある意味、野生のトキさんのところと似ているのでしょうか。彼の場合は、私のように定点観測というより、蜜蜂の如く舞っていますが。

山形屋デパートですか、懐かしいと言いたいのですが、私のような「ルーツかごま」には機微は分かりません。ただ、いまでも親戚に立ち交じると、いつかなまっている自分がいます。実際は生活していなくとも、両親の交わす言葉を聞いていたのかもしれません。
柚湯とかぼちゃ、今、一番夜が長いですね。

余情 半 さんのコメント...

いらっしゃい、拙ブログにはお久しぶりです。
多少鬱っ気があって、冬至が過ぎれば昼間が徐々に長くなっていくのでほっとします。冬の寒さには湯たんぽが具合のいい歳になりました。
貴ブログではずいぶんと根を詰めて連載をされていてたいしたものです。また、なんといっても読者が検索して辿り着いてきて、専門性を評価する声が出てきましたね。「はしくれ」とはおっしゃるけれども、「凄み」(こわい意味ではなくて、深みみたいな)がでてきましたね、読み手もどんどんおもしろい人が増えているように拝察します。
こちらはコタツに篭り、四畳半ぐらいの手の届く範囲の世界と想いの世界を描いているだけです。最近は日記らしくこつこつと習慣化できるようになってきました。

ゆっきんママ さんのコメント...

こんばんは♪
我が家はみんな木に登ります。
どころか有頂天になって天にまで登ってしまう単純家族です♪

余情 半 さんのコメント...

息子は赤ちゃんのときに「高い高い♪」すらできませんでした。お調子ものでも、我家は誰も木に登れません。ん?今度増える家族はできるのかな…。インフルで寝込んでいるけれど。