2009年11月2日月曜日

聞いてない


来る日も来る日も鉄砲玉が飛んでくる前線にいる。塹壕にいるがいつも突撃命令がでる。もうたまらない。援護射撃は無い。補充も無い。「西部戦線異状なし」(レマルク原作1929年)かカーク・ダグラス主演の映画「突撃」(スタンリー・キューブリック監督)だ。っと、いきなり後方の部隊から敵味方も吹き飛ばすような砲撃をくらったようだった。「地獄の黙示録」のワンシーンの絵図。

材質までは調べられた。現物があるから形状は明確だ。それが何なのか、入る可能性はないのか、絶対に無いといえるのか。ここで半信だった。では、誤って入っていた場合加熱の影響を受けるのかどうか、透過式検出装置で検知排除できるのか。検証の結果、製造工程の加熱をされても影響を受けない、検出器にも反応しない、つまり入っていなかったとは証明できなかった。ここでも半疑だったようだ。矢面に立つ当事者としてかかわって、正直苦労した。ときには人格までこきおろされる。結局は「特定不能」と回答し不興を買った、ただそういうことはいくらでもある。それから幾日も過ぎた。ところがどっこい、新たに2件目が出て急転直下、よく調べてみたら製造工程から出てきたといっていきなり社告、自主回収ときた(それはそれでいいが)。しかも我家でとっている新聞には載っておらず、机上に配ってあった新聞のコピーを週明け出勤して見せられて初めて知った。商品部や品質保証部には直前の連絡もあったのだろうが、矢面にたって何日も責められ、調査を再三再四工場に依頼しつつ、つらい思いをした現場にはなんの連絡もフォローもない。あるのは上から下りてきた発表文書のみ。
トップがこれからは大事な仕事だといっていた美辞麗句とはほど遠く、部署や置かれた者のステイタスはやはり低いことを思い知る。たんなる猫撫でにすぎなかった。これでは声やご指摘をホントに活かす体質が構築できるとは思えない。最近では過剰配置だったと悔やんでいるようにも思える。
ただ、粘って食いついていたからこそ布石となって、2件目が出た時、工場側がさすがにピンときたという緊張感を保たせていたことになったと自負してはいる。が、今一歩踏み込む権能があったらと考える。限界があるとはいえ後味が悪い。いつも映画「シンドラーのリスト」の最後のシーンを思い起こす。 ああしておけばよかった、こうしておけばよかったと。

今日は「聞いてない」ということばっかりか。案内も連絡もなくて面子には入っていると直前に言われても、さて困ったものだ。さっ、明日は早朝出発、ボランティア、よし人足だ。ブーワンだ(人間も捨て、なんでも呑み込むぞという、流行らせたい余情流造語)!

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