2009年9月20日日曜日

感慨深いお片づけ


 伯母さんが来るから、ご飯食べにおいでと二男にCメールで知らせる。みなさんシルバーウィークですかと返信、お勤めです、同志ですねとすぐ返事、いや火曜日だけですとまた返す、「そうですか」ときた…。休めぬ業種、職種がある。息子たちの間でも格差がある。それがかわいそうだと妻殿が言う。

 とうとう二年分の新聞を捨てるはめになった。この連休をはずせばやばい。右から左にやればよいがそれができない。今、政権交代、新しい施策へという結果がわかっているからタイムカプセルを開いているようだ。人は忘れるものだ、ホントは宝の山なのだけれども左から右に捨てることにする。

 秋葉原無差別殺傷事件(08年5月)が起きた時、とんでもない我がまま野郎だ、親はどんな育て方をしたのだ、罪が親にまで及ぶがごとき論調だった。「自分だけ勝手に死ね」とも思った。K容疑者が「人と社会を否定」した蛮行だった。このこと自体が許されるはずはない。しかしながら「自分をも否定せざるをえなかった追い詰められ方と背景」にすぐには考え方が及ばなかった(香山リカさん)。

 わずか一年前には、まさかこの国で、モノが溢れているこの社会で、餓死をする人がいる、寝る家もないなんて人がいるということが信じられなかったはずだ。地下通路や路上や川辺の公園で寝泊りしている人がいても、いないがごとく目には入らなかった。まるで歌舞伎の黒子のように、いてもいないとみなしていた。明日から硬いアスファルトの上で寝なければいけない、飢えで死に掛けている人がいるということを告発する、社会の仕組みが壊れているということを主張するのは‘ことさら’社会不安を煽る分子とみなされた。安倍晋三さんや石原慎太郎さんはもっと貧しいアフリカを見なさいと逆に説教していた。麻生さんにいたっては「ホンキで仕事を探す気があるのか、選り好みしているのでは」とうそぶいていた(08年9月)。

 この社会にいくらでもチャンスはあるのに、路上生活をするはめになったなんて、生活設計考えていたの、蓄えしたの、好きなことやって離婚して、やる気と能力が無くてぶらぶらしているだけではないの、と。

 昨年の今頃は麻生政権になって、総選挙をいつ打つか、定額給付金をどういう出し方をするか、創価学会が関西の六選挙区に大動員をかけたの、どうのと、もっぱら政局をにらんでいて国民生活に手を差し伸べた形跡は無い。麻生さんが毎夜高級料亭を梯子しホテルのバーで飲みながら、件の発言をして顰蹙を買っているときだった。

 リーマンショックを経てこの時期から12月にかけていよいよ派遣切りが深刻になっていく。職場と住処を放り出される数多くの人たちがいる、その様は使い捨てそのもの、扱いは使用済みのゴミのようだった。そういう情勢、御手洗さんたちの大企業の仕打ち、大分でも青森でもどこでもかしこでも。史上空前の利益と配当をあげていた輸出産業のやったことが日々の新聞に踊る。

 政局といえば、解散総選挙に早く追い込むために民主党は与党が優先する政策「テロ対策法案」のようなものを実質審議無しに通したかと思えば、年末になって派遣切りの問題ではやたらと今度は対決姿勢に持ち込み、目の前で起きている事態にたいして実効的な救いの手すら差し伸べられないという政治の失態を演じていた。いくらなんでも政治的主張の立場の違いを超えてとにかく話し合ってできる手を打とうと涙交じりに訴えていたのは議席の少ない小池晃さんのところだった、今でも覚えている。この様は多くの国民の心を傷つけていた。

 湯浅誠さんたち支援者活動家たちがどれほど切歯扼腕したことか。窮余の策が国会議事堂を目の前にした日比谷公園での年末年始の「派遣村」となる。それでもまるで昔の新左翼の手段のようだとうそぶく自民党政務官がいた。

 それに先立つこと10月19日に、明治公園で反貧困ネットワークが呼びかけた「反貧困世直しイッキ!大集会」が開かれていた。この模様が大きな写真つきで報道されている、異例の扱いだ。そのときの集会宣言に言う。以下、引用。

『私たちは、今日ここに「世直し」のために集まりました。

 どんな世を直すのか。
 それは、人が人らしく生きられない、人間がモノ扱いされる、命よりもお金や効率が優先される、貧困が広がる、そんな世を直すためです。

 どうやって直すのか。
 それは、一人一人が声を上げ、場所を作り、それによって仲間を増やし、守られる空間をつくり、一人じゃないことを確認し、そして相互に垣根を越えてつながっていくことで直します。

 私たちの社会は今、間違った方向に進んでいます。私たちはそれを直したい。それが、私たちの責任です。「自己責任」などは、決して私たちが取るべき責任ではない。私たちには私たちの、市民には市民の、責任の取り方がある。


 いま、日本社会は大きな岐路に立っています。

 労働者をいじめ続けるのか、人間らしい労働を可能にしていくのか、

 社会保障を削り続けるのか、人々の命と暮らしを支える社会にするのか、

 お金持ちを優遇し続けるのか、経済的に苦しい人たちへの再分配を図るのか、
 生存権を壊すのか、守るのか。

 私たちの選択は決まっている。私たちは、人間らしい生活と労働の実現を求める。

 選挙が近い、と言われています。

 政権選択の選挙だと、言われています。

 しかし、私たちが求めているのは単なる政権交代ではない。日本社会に広がる貧困を直視し、貧困の削減目標を立て、それに向けて政策を総動員する政治こそ、私たちは求める。

 そのためにはまず、労働者派遣法の抜本的改正が必要である。また、社会保障費2200億円削減の撤廃が必要である。

 しかし、それだけでは足りない。雇用保険、就労支援、年金、医療・介護、障害者支援、児童手当・児童扶養手当、教育費・住宅費・子ども支援、生活保護、あらゆる施策の充実が必要である。この国ではそれらが、貧しすぎた。政治は、政策の貧困という自己責任こそ、自覚すべきだ。道路を作るだけでは、人々の暮らしは豊かにはならない。

 そしてその上で、国内の貧困の削減目標を立てるべきだ。貧困を解消させる第一の責任は、政治にある。

 私たちが「もうガマンできない!」と声を上げてから一年半。私たちは着実に、仲間を増やしてきました。私たちの仲間はすでに全国各地に存在し、分野を越え、立場を越え、垣根を越えたつながりを作り始めている。

 小さな違いにこだわって、負け続けるのはもうたくさんだ。敷居を下げ、弱さを認め、弱さの自覚の上に、強い絆を作る。それが、私たちの運動であり、私たちの世直しだ。

 声をあげよう。
 居場所を作ろう。
 仲間を増やそう。
 一人一人が、もう一歩を踏み出そう。
 そして、社会を変えよう。政治を変えよう。

 もう一度言う。

 私たちは、垣根を越えたつながりを作ろう。
 労働者派遣法を抜本的に改正させ、社会保障費2200億円削減を撤回させよう。
 貧困の削減目標を立てさせよう。

 そして、誰もが生きやすい社会を作ろう。

 それが、私たちの権利であり責任だ。

 以上、宣言する。2008年10月19日、反貧困世直しイッキ大集会参加者一同。』


 さらにこれに先立つ7月、『社会を覆う貧困の広がり。そうした「不当な迫害」に頭を下げない、傍観もしない、不屈にたたかって新しい日本をめざす、そういう生き方にこそ、現代においても最も価値ある人間的な生き方がある』とも聞いていた。

 感慨を踏まえつつ生活空間を取り戻し、妻殿の悲鳴をやわらげるために新聞を左から右に古新聞にしよう。いつかトイレでもう一度感慨にふけよう。気持ちは水には流さない。―――と、かっこつけている場合ではない。お客さんの寝るところがないんだった。

0 件のコメント: