2009年8月6日木曜日

原爆“鬼”


 体重が4キロ減った。筋肉質になったからではない。このあいだの、食中りの打撃のように考えられる。お粥にすると具合がいい。私は酒も飲むが甘いものも好む。ここのところその間食も控えている。大食い早食い、出されたものは残さないという食生活をしてきた。「食べ物がなかったとき」というDNAを持っているような気がしている。

 昭和20年(1945年)秋、私が生まれていない私の一家は引き揚げ船で広島県の宇品港に上陸した。それで、当時8歳だった兄に訊いてみた。ヒロシマを見たかと。
 「んにゃ、着いたのは真夜中で真っ暗。すぐに汽車に乗せられた。何もみていない」そんな記憶しかないと。

 たいへんだった。食べるものが無くて大変だった。空襲で大変だった。などと言い聞かせられるように聞かされて、そのあとは「だから我慢しなさい」だったからあまり真正面から聞こうとはしなかった。下の姉は乳飲み子で本当に大変だったはずだ。具体的にどう大変だったのか聞き損ねた。もう母から聞くことはできない。こうなれば、兄や上の姉からも記憶を引き出したいものだが。

 原爆を投下したことは平和を早く実現することに貢献したのだ、自国の何万人ものアメリカ兵の犠牲を回避した。崇高な任務を遂行したということをエノラ・ゲイの搭乗者は固く信じて疑わない。一般的なアメリカ世論もそうだと聞いている。原爆は平和のために必要であったと。ひたすら任務を遂行した有能な搭乗員で、普通の市民だとは思う。いくら実相を伝えようとしても聞く耳をもたない。
 そのアメリカのオバマ大統領が、核兵器を使用したことのある国の当事者として、「行動すべき道義的責任」に触れた(09年4月9日、プラハ演説)。世界に一筋の光明が見えた。

 核兵器使用は誰がなんと言おうとも、その結果は「この世の鬼の行状」である。

 北朝鮮が核をもつから、わが国も、と唱える自民・民主の政治屋(せいじや)たちの浅薄な主張を私は断固悪(にく)む。

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