2009年8月2日日曜日

ラムネ温泉


 その駅は、今では観光名所になった肥薩線の嘉例川駅だったのではないかと思う。

 母は南国(鹿児島、奄美・沖縄、台湾)特有といわれる風土病(*)を持ち、ときどき発する症状に悩まされていた。医者にかかっても軽快しなかったので、勢い民間療法に頼った。飲泉と湯治。そこが霧島の「ラムネ温泉」というところだった。ここの泉水を幾日もがぶがぶ飲み続ければ効き、症状が治まったらしい。

*フィラリア症による乳糜尿(にゅうびにょう)という乳白色の尿になり倦怠感を訴えた、と記憶している。

 チッキで布団から味噌から米から何から何まで送り、自炊した。荷物は駅からタクシー(母たちはハイヤーと呼んでいた)で運んだが、逗留していて次からは歩いた。こども心に、遥かな道のりで夏の日だったと記憶している。空の青さと、暑さ、蝉のかしましさがぐーっとのしかかるようだった。白い砂利道、田んぼや森の緑の深さ。どれもこれも卒倒しそうなまぶしさだった。

 「ラムネ」温泉だというから期待した。

 ラムネやサイダーは夏休みに東京から帰ってきた従兄弟には接待として出したのに、私らにはめったに出してもらえるものではなかった。
 栓を抜いたときのシュワー、注ぐときのカッポンカッポン、飲んだときの喉への刺激。東京弁をしゃべる従兄の喉元を、それこそ生唾を飲み込むように口を空けて見つめていたはずである。従兄は飲みにくかったに違いない。同じように叔父も泡の立つビールを飲むので、いつか目を盗んで嘗めてみて驚いた、何だ、この苦さは。

 ラムネの町工場が近所にあって、夏になると排水口のあるドブにラムネ玉をみんなで探しにいった。ビー玉のことを我々は「めん玉」と呼んでいた。幼いころ私はホントに何かの目玉だと思っていた。穴入れ遊びをして、負けると巻き上げられた。で、いつも巻き上げられた。

 ラムネでもなんでもないではないか。ほんもののラムネを飲ませろと母にもがった(=駄々をこねた)。泉水は炭酸成分を比較的多く含む胃腸に効くようなものだったと考えられる。子どもに飲める代物でもなかった。ないものねだりなのであきらめた。何もないところだった。無論、駄菓子屋もない。

 渓流の上の茶畑で地元の子と夢中で遊んだのだろう。いつか夜になって下半身が真っ赤になって痒くて一晩泣いた。何かにかぶれたのか、ダニにでもやられたのだろう。そこは温泉だ、それで治した。そんな記憶がある。

 そのラムネ温泉は「平成5年(1993年)8月豪雨」と記録される集中豪雨のときに濁流とともに流されたということを、ずっと後になって妙見温泉の老舗「おりはし旅館」で聞いた。

 当時、地元の知り合いがあの年は6月と7月に梅雨が2回あったと言った。とにかく激しい雨が降り大災害を蒙った。8月1日と6日のことである。今年もそのようなことが山口と北部九州でおきている。 93年は米がとれなかった冷夏のあの年だ。

 今回、霧島に行く途中に「ラムネ温泉」という看板が掲げてあった。前から気になっていたので、そのわき道に沿って入ってみた。新しい湯治場棟のようなもので営業されていた。ここが当時のところなのかまったく思い出せなかった。

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