2009年7月28日火曜日

妹さん

 桐原君には一つ年下の弟がいた。醤油製造業の息子さんで家は裕福だった。うちの母たちは戦後のどさくさで軍の隠匿物資を使ってのしあがったのだと陰口を言っていた。町内会、ご近所では初めて桐原君のおじさんはアメリカに行った。そして桐原君の広い家の中で幻灯機を使ってそのアメリカ行きを紹介してくれた。アメリカとはこんなところだ、とか。ぎっしり詰まってホーっとみんなでため息交じりで観たものだった。その時、おじさんはホントの革靴とは歩けばキュッ、キュっと鳴るものだと教えてくれたのが何故か記憶に残っている。

 この幼なじみの兄弟には二つ三つ年下の妹がいた。遊び相手にもしていなかったが、いつか高校生の時あいさつをされてドギマギした、まぶしかった。

 不思議なことにおじさんも、同級生の圭一郎くんもケイジロウくんも早死にした。妹さんだけが取り残されたと母がまだ元気だったころ聞いたことがあった。

 そんなことをふと想い出した。

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