2009年7月27日月曜日

おかあさん


 Y少年とその母親はこの急な石段を跳躍するように勝手口か玄関に飛び込んで帰ってきたそんなときがあったのかもしれない。そのころ鴇はこの里山を普通に飛んでいたのだろう。俺のときは10羽みたけれども兄貴のときは20羽みたらしい。10年違えば違うな。

 もうみんなで出発するよという時だ。「おう、誰か写真を撮って」ととっさにYさんが言うので、目と目が合って近くにいた私がカメラを構えた。
 Yさんはおかあさんになにか言い聞かせるように話しかけていて、なかなか二人でこちらを向かない。この二日間で話しかけるのは初めて見かけた。職場では偉いさんだが、みているとYさんも私と同じ末っ子の2番目の息子だ。

 この家に招き入れられたときに、玄関を上がった座敷の正面左におかあさんと思しき人が座椅子に座っていた。そうすればこの屋敷の当主であるから初めてお会いするので挨拶をしようと思ったが、皆がまるで「いない人」のように屋敷の中を行き交う。そもそも当の息子の兄弟ふたりが構っていない(ようにみえる)。正面きって挨拶し損ねたのでちょこっとごあいさつをしただけで私もほかの人のように振舞った。

 90歳だとあとで比嘉さんから聞いた。きちんとした身なりで、ここのおかあさんもおしゃれというものを忘れていないのだなと思った。この村の「嫁」というものの重い負担(慣習)を軽減することに立ち向かったとも聞いた。だから村の女たちに慕われた。鴨居に掛けてあった女たち皆で撮った写真がそれを物語る、と。

 親子ふたりの写真を撮って、いよいよ皆でこの家を出るとき、吉村さんがさっとおかあさんのところに行って律儀にあいさつした。私も続いて、それに倣って帽子をとってひとことお礼とお別れのごあいさつをした。それまで遠目にうつろな表情のようにお見受けしていたが、目と目がきちんとあって目に涙が浮かんでいた。だれのお母さんだろうと、いくつだろうと、高齢でおぼつかなかろうとも、末っ子の息子(できのいい息子のようだ)が、遠くから大勢の知り合いを連れてきたのはうれしかったのかもしれない。また、いなくなるのは寂しいのかもしれない。ここのおかあさんよりずっと年上の母親がいるのでわかる気がする。

 どちらのおかあさんも健やかに長生きしてほしい。


  稲の束をかついで山をおりるんだよ、これがずしりと肩にくいこみ子どもには重いんだ。おふくろにはよく叱られた。黒いランニング姿のYさんは自慢の棚田を翔ぶように巡りながら、ほんの少しだけ昔話にふれた。

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