2009年6月3日水曜日

みなみへⅣ(大島)

「大島」といえば、妻殿は生まれ故郷の港からフェリーで行く目の前の島を言い、私にとっては阿久根の島のことだった。鹿が放たれていて殿様がこれを見にくるといって、実は幕府に隠れて密貿易をしていた島だと言い伝えられる。かように大島は各地にある。

いつだったか東京駅の大丸デパートで田中一村展をやっていた。その後このデパートは大改装をしたので5年ぐらい前のことになろうか。
この人は死後、評価された。九州各地のデパートで作品展が催されたようで、Uさんも熊本で観たことがあるとのことだった。
この人は50歳になって「みなみ」へ移住し働きながら絵を画いた。当時、国内では奄美大島が最もみなみだった。名も知られず、大島紬の染色をして糊口をつなぎ、森へはいり、峠を越え、絵のモチーフを求めた。
南国の色彩と幽玄を得た。なにか共鳴する。

まだ若かったころ兄夫婦がお土産としてくれたのが大島紬のネクタイだった。なんと地味な!と思ったが締め心地は抜群だった。求めれば安いものではなかった。なにがしかの年齢になって、えいやと買い求めるようになった。大島紬のデザインは老若に関係ない。似合うか似合わないかは、締める人の品格のせいだ。風合い、締め心地、どんな有名ブランドよりも良いと考える。

大島紬の着物は一生に一度は持つものとされ祖母も母も持っていた。また持ちもよく世代を超えて引き継がれた。上の姉も母のものを持っている。もう着る機会はなかろうに。

1 件のコメント:

ハマタヌ さんのコメント...

田村一村も確か着物の絵師でしたね。私も大ファンです。あの独特の奄美の重く、甘い、熟した果実のような熱帯の空気感が好きです。
よく見る沖縄や奄美の観光写真は、スカッと抜けたような青空と入道雲、青い海。
ではないのですよね。一歩海岸から茂みに入ろうものなら、アダンがまとわりつき、河口にはマングローブとヤシガニ。ガジュマルの樹の枝にはハブがひっそりと潜む。リュウキュウアカシオビンの鳴き声。
それが、ほとんど青い海を描かなかった一村の世界です。