2009年5月29日金曜日

31回目


 僕と結婚してください、きっと幸せにしてみせます、とかなんとか言った覚えがありません。一緒になるのは自然、当たり前のような感じがしていました。ただ、一緒になるのをいつからにするかという問題だけでしたから。彼女がいるのだろう、実は、ということで職場のみなさんに「祝う会」の実行委員会をつくっていただき職場の近くのビジネスホテルで式を挙げました。映画に出てきた「さくら」さんの結婚式よりはるかにささやかな式でした。一週間の特別休暇がもらえましたから、何の予約もとらず、日本海方面へ新婚旅行に出かけました。一畑電鉄、出雲の国には美人が多かったのを覚えています。そういうことを口に出すものだから、新妻殿に「まっ」と言われました。

 給料は封を切らずに渡し、家族を食うに困らせまいとの「美学」を心に誓い、その通りにしました。それで未だに家計がどうなっているのか、どこにどれほど蓄えがあるのかないのかよく知りません。逃げられたりしたら直ちに困るでしょう。学生時代に買った70cm四方のコタツを食卓にしていました。それを囲んで家族で輪をつくり、肩をたたきあって「四人、よにん」、「六人、ろくにん」と唱和することを想像しました。四人家族は現実かなと考えていましたが、えいやっと六人家族まで実現しました。私が四人兄弟であったこともあり、家族も六人いたらうれしいなとは思っていました。今は禁煙とかお子様連れ優先とか駅のエレベーター、エスカレーターとか社会的配慮がありますが、当時はありませんでした。短かすぎた二人だけの新婚生活が過ぎ、「子沢山」の子育ては主に妻殿が、ひとくちで言うと「島原大変、肥後迷惑」でした。けれども「過ぎてしまえば♪」で、みな美しいのでしょうか。今では「叔母ちゃん、四人も産んだの、よく育てたね、尊敬しちゃう」とどの姪っ子からも言われます。「叔母殿」は忘れちゃったとか言っていますが、(どんなもんだい!)と私の方が密かに自慢しています。今はめぐりめぐって再び二人きりになりました。

 ふたりで生きていこうと思っています(そのはずですが)。
 昨日が31年目の結婚記念日。式をあげた日(同居した日や入籍した日はあれこれ違う)。そう、宗教色を排して式は「人前」という形式をとりました。「幸せにします」とみんなの前で誓ったように思います。はたしてそうしてきたのでしょうか。妻殿からは「異論、反論、オブジェクション」を喰らいそうです。いや、現に毎日喰らっています。

3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

おめでとうございます♪
我が夫は・・・全力で幸せにする!って言ったような・・・
でも今まで何度も土下座して謝られたような・・・
(酒癖が悪いんです!我が夫!)
色々とありますよね~!
あっ!それは我が家のことでした♪

ゆっきんママ さんのコメント...

あらま!
匿名ではありませんよ!
ゆっきんママでした♪

ハマタヌ さんのコメント...

おめでとうございます。私はなんて言ったっけな確か「君となら価値観を共有できる」と言ったと思います、ブ、ハハ!センスのかけらもない。もうちっと考えろや。
しかし、ゆっきんママさんの旦那のように、目が眩んで「全力で幸せにします」なんて言わなかったぞ。

で、うちらはさくらさんの結婚式どころか、式自体やってませんぜ。一緒になってすぐに会社辞めて、沖縄に行って百姓になったもんで。その上共同体に入ったり、親から勘当になったりでしてね。今時になってやりたかったな、と。
余情半さんののろけ話大好きです。リクエストします。あ、わがブログの1周年記念。身に余るお言葉、ありがとうございました。照れくさいです。