2009年5月18日月曜日

想い出したひと

 「孫崎さんのほら、元イラクだかイラン大使のほら、なんとかというほら、新書の読書会やるから、来て」と誘われた。活動をいきいきとやってきた人達だからリタイアしても元気がいい。元は学校の先生でお付き合いすれば人間の奥と知識、経験が深い。ひとりひとりの生徒や父母に接してきた。人間まとめて「なんぼ」、「右向け右」ではない。
 『日米同盟の正体~迷走する安全保障』(講談社新書、孫崎享さん、09年3月)を取り上げるなんてトレンドだ。いきいきとやってきたといっても、活動は迫害の対象だったし、当局におもねる人もいたし、組合もひとつではなかった。だから歳をとってもみんな個性が強い。「変わり者」だ。根底に人の良さと芯がある。金持ちではない。1時間200円で借りられる地区労の2階で読み会をやって気炎をあげる。「最近の先生たちは気の毒ですね」と。

 西村さんのことを。
自転車が趣味で近所の自転車屋さんのお得意さんだった。娘さんに先立たれ、御自身も癌との闘病の末、あっという間に亡くなられた。人懐っこそうな風貌で、けらけらと笑い、人を信じて疑わないひとだった。引っ越してきたばかりの私たちへの態度もそうだった。私たちへの「お別れのあいさつ」が残されていた、死を悟りしたためられていたおだやかなものだった。先生としても活動家としても慕われていたのだろう多くの人が追悼に集まり、遺文をみなで本にして出版した。深い悲しみ、あれから十数年になるだろうか。
 ふと、想い出した。

 人はひとりひとりの「ひと」でなければならない、とそう考える。そう接したい。

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