2009年5月17日日曜日

感想


 「政権交代」が自己目的化しているなと考えた。これではだめだろう。
土曜日の昼はたまたま民主党の代表選の中継を観てしまった。

 戦後保守政権は反共改憲を党是としながらも擬似社会民主主義的あるいは「社会政策的」施策を営々と築き上げ「反共親米」(加藤紘一さん)を貫き通してきた。
 しかるに世界にサッチャーイズム、レーガノミックスに始まる新自由主義がはびこった。つきつめれば、資本主義の思うままの弱肉強食の再来、野獣の政策である。自民党にも台頭し、さらにその自民党からあぶれた野心家たちは民主党に集まった。経営者集団にも人間らしい志と心は舞台から消え、奥田さん御手洗さんのような浅薄な人柄がこの国の成り立ちを主導し始めた。「人」を分断し、「人」をモノにおとしめた。「二大」政党はこの人たちの算盤の手のひらの上にある。

 政権交代これは必要だろうと考える。腐敗、停滞へ緊張感をかもし出す。

 しかしながら、次の社会を提示しなくて、高速道路の無料化だの土日の千円(ETC)と変わらぬ政策のような類を提示したところで、何の代わり映えがあろう。むしろ、新自由主義的施策の推進を競っている観さえある。「政権交代」ではなくて「権力交代」を目論んでいるようにしか映らない。「ひと」というものへの「ものの見方」(哲学)で、教育論、改憲論に不気味なものをみる。

 喧嘩上手の小泉さんが「構造改革の旗手」として持ち上げた、オリックスの宮内さん、グッドウィルの折口さん、ザ・アールの奥谷さん、挙げればキリが無い(もっとオオモノがいると思う、経団連の御手洗さんは露骨な典型だが)、この列島の豊かさをまたたくまにハイエナのように貪(むさぼ)った。社会の修復を根本的に取り組まなければならない、その流れは世界に起きていると考えられる。ひとが安心して生きていけないからだ。

 「よりまし」、ではなくって「もっとまし」「より庶民的、働く側」でなくてはならない。

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