2009年4月9日木曜日

奄美のFさん


 「Fさんは60を越えて女に走ったらしい」

 数年前に夫婦で初めて訪れたときはそういうことも知らずにFさんとその女性にお会いした。後日、Fさんが捨てた実質自分の会社の後継者Sさんから「実は・・・」ということで聞いて驚いた。

 Fさんは1942年(昭和17年)生まれ、今67歳だ。8人兄弟の下から何番目、食えぬ経験をしている。この島のひとはどういう伝手(つて)か、神戸や川崎に出て行くひとが多い。Fさんは中学を出て川崎あたりで苦労の末、いつしか公共事業を請け負う会社を興した。軌道に乗ったその会社を弟に譲り、Sさんを連れて新たに食品の卸会社を立ち上げた。故郷の有力者の従兄弟から頼まれたらしい、町を挙げて復活させた「さとうきび酢」の普及再建に乗り出した。どういう営業力かあるいは政治力か、マスコミにも取り上げられ健康にもよいと一時期ブームをも巻き起こし、特産品に押し上げた。確かにストーリーの描ける商品である。
 
 事情がいまひとつわからないがケンカ別れのようにして、この会社は今ではSさんが継いでいる。Sさんは実務的商才があるようだ。譬えれば周恩来だ。Sさんは若いとき劇団にもいたことのあるヤメ役者だそうだ。
 
 Fさんはだから毛沢東で、旗揚げ者で破壊者でもある、どうもご婦人が好きなのだろう、勝手な想像である。あまりお金がないことを気にしない。無いお金を使うことも気にしない。

 仕事上でつきあいが始まったのに無料の航空券をよこそうとしたので、やんわりと「馬鹿にするのでない」ときつい内容で責めたから、逆に心が通うようになった。大先輩だがジャブを放てる。
 
 今を捨てて、未来に生きる、聞いているとほとんど大法螺だ。Fさんの大ロマン、大法螺が好きだ。だが破茶目茶なようで確実に実践していることに気付く。
 
 克てて加えて元国立大学大学院教授のMさんが登場する。耳がやや不自由になられたらしく人の話は聞かない、大声でお説をぶたれる。学者さんに理屈では敵わない。大酒呑みの好々爺。大ロマンのブレーンだ。大法螺を理屈づける。
 地元では町長が代わって逆風。かつての自分の会社を敵にまわし、JAも向こうにまわしているのではないかと推測する。どこ吹く風のようだ。
 
 藪に見えた耕作放棄地のさとうきび畑を再生させて数年経つ。ハブが何匹も出てきたそうだ。さとうきびは台風災害に強いようにと何年もかけて改良されつづけてきた。その品種ではなく、味が深い昔ながらの品種を一部復活させた。「大茎種」と聞く。黒糖もこさえて、出来立てを送っていただき、感想を聞かれた。なんでもそうだが産地で出来立てを食味するとおいしい。シンプルなものほどそうだ。粋なデザインの包材だ。このひとにはその方面の感性の良さを感じる。多量生産ではないから特定の顧客を獲得すれば足りる。
 
 それをこのたび、いよいよ「さとうきび酢」作りに入るらしい。M元教授がお出ましだ。甕は常滑焼きで調達したらしい。さらにもう一歩伝統の復活、在来品種。加計呂間島の対岸で、これにかける。「さとうきび酢」の文化大革命だ。
 
 Fさんは酒を一滴も飲めない、甘党だ。先日私の贔屓の「のせどん」から名物の「軽羹」を送った。返礼で近況報告の内容が以上のようなことだった。Fさんとはすっかり友達になったHさんからあの人とは別れたらしいと年末に聞いた。さすがにこの話はできない。
 
 今月下旬に仕込みに入る。ホントは飛んで行きたい。奄美の蘇鉄。

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