2009年1月27日火曜日

T君、M君


 脳内のセロトニンが循環しなくなっただけで苦しんだ。こころの持ちようから始まったのかもしれないが、また理屈は理解できたが、そんなことはどうでもよくて辛かった。新聞が読めなくなったでしょ、テレビに興味がなくなったでしょと言われて気づいた。一種の恐さ、つらさ、罪悪感が襲ってくる、表現が難しい。薬の相性もあってときには副作用もつらかったように思えている。「うつ状態」程度ですらこうだった。

 高校時代の友人のT君はいつもニコニコ、にこにこしていたという印象がある。お姉さん達だけのひとり息子で期待がかけられていたように思うが向学心が強く努力の人だった。地元の国立大学に進み獣医の資格をとった。結婚式に出てきてくれ、そのとき様子がおかしいとは思ったがその後消息が一時期絶えた。いつからか故郷で独り暮らしの母を訪ねてきて声をかけてくれることがあったらしく、連絡がとれるようになり交際が復活した。資格を活かし公務員となっていた。偶に上京して我家に泊まってくれたりもして行き来した。そのころはまだ元気だったが、とりとめのない長距離電話を繰り返しくれるようになったり、休職を繰り返すようになったりした。いつか統合失調症であることを聞いた。当時どれほどつらいものかはわからなかった。同情はしたが、いつしか私もやりすごすようになった。治療に専念し晴れて軽快して復職を果たし、出張で上京することがあってまた泊まってくれたが、衰えは隠せなかった。言語が明瞭でなく、若い頃筋骨たくましかったT君とは思えぬほど体力が著しく衰えていた。今はほんのたまに電話をもらうことしかなくなったが、病とつきあいながら衰えつつ生きているように思う。よくはわからないが、私自身のその後の経験からつらい病だと考えられるようになった。

 親戚のM君はうちの息子たちより年下だ。ひきこもりになって長い。逃げ回り手に負えなかったと聞く。お母さんはこのことになれば泣き崩れるので、ごく近い身内の周囲でも触れられなくなっていた。月日が過ぎ、最近になって容態が急変した。ぐったりして身の回りのこともできなくなった。そのことでようやく医者に診せることができて統合失調症と診断されたらしい。筆談だが意思の疎通ができるようになり薬が飲めるようになったそうだ。家業が傾き父親は外に働きに出たはいいが難病にとり付かれた。祖父母は健在だが高齢になった。結局母親だけが大手スーパーのパートに出てわずかな収入を得ている。「すべり落ちる」その危機の淵でまだなんとか生きている。

 T君もM君も「競争なんかできない優しい」人だという共通点を私は感じている。

 「うつ」は7人にひとり、「統合失調症」は100~120人にひとり。治療によって軽快することができる。ただしそれには社会的サポート、周囲の支えが必要だ。そのことも少し経験した。

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